【夏目漱石】道後温泉裏「松ケ枝遊廓跡」こと「ネオン坂歓楽街」はまだヤッてんの?!【も通った!?】(2)

全国裏探訪取材班は、道後温泉裏「松ケ枝遊廓跡」こと「ネオン坂歓楽街」に来ている。ここは夏目漱石の“坊っちゃん”にも出てくる有名なネオン坂なんですけど現在は早々にアーチ看板も撤去され往時の賑わいは既にもうない状態だった。

「ネオン坂歓楽街」

「宗祖 一遍上人御誕生旧跡 時宗 寶厳寺」

現在そのアーチ看板の跡には突き当りの宝厳寺の石碑が建てられている。こんな神社仏閣の門前町に遊郭?と思われるかもしれないが、実はそんな所は全国にある。

例えば関西の奥座敷の生駒聖天寶山寺の門前町のココや、熱田神宮の前のココ、あとそう、川越大師喜多院前のココなんかも例の漏れず事実上の門前町ですよね?

「別館湯月荘 銀座ホテル」

今でもこんな感じでオンボロの旅館が残されている。やはり精進落としの門前町として宿場などとして栄えたんでしょうかね。

現在ではとにかく寂れまくっていたそうだが、取材班が宿泊をした旅館の主人曰く、私が学生だった昭和30年ぐらいはとにかく人がすごかった!昔から遊郭発祥という事もあってそりゃ宝厳寺の仏にお参りに行くというより、女の仏を拝みに行く神聖な場所だったんだからwと当時の様子を語ってくれた。

昔の思い出を懐かしみ思い出が込み上げ、たくさん語ってくれた。いまでも、それっぽい物件はあるんですよね。これなんかもそう。1階部分は平静を装っているが2階を見るとガッツリ遊郭の造りですからね。行灯もあるし。取材班の目はごまかせない。

1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内にもしっかりと当時の記録があった。「道後湯之町松ヶ枝遊廓 は愛媛縣温泉郡道後町字湯之町に在つて松ヶ枝遊廓と稱して居る。伊豫松山市と相距ること十餘丁に過ぎない上に、道後と松山の連絡電車がある。(続)」

「省線松山驛で下車して道後行の電車に乗り、道後停留場(道後驛と云ふ)で下車すれば東へ約二丁の處に位して居る。道後の町は昔から日本一の湯の町として有名な處丈けに大古時代から遺跡が数へ切れない程此處には残つて居る。(続)」

 

「道後温泉本館 しらさぎ(この地に舞い降りた脚を傷つけた鷺がその傷を癒したとらしい)」

「現在の道後」

「泉質も善く、熱度も高く、湧出量も豊富なので、年々湯治客は殺到して町は素晴らしいい繁盛振りであある。(続)」なるほど。やはり旅館の主人の話は本当あったようだ。

「ネオン坂から見る温泉街」

「其れ故町の隅々迄も遊山氣分が湛溢して、殊に花柳界には新開地の様な活氣とざわめきがある此處の遊廓は元湯女と稱して、温泉旅館の女中が客に淫を賣つて居たものであるが、風紀を取締る必要上、明治十一年に現在の遊廓が許可された譯であつた。(続)」

さて次回も、全国遊郭案内を見ながら「松ケ枝遊廓跡」こと「ネオン坂歓楽街」の今の様子を見てきましょうかね。

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(2020)