【能登半島の】多種多様な信仰。舳倉島を一周する。【先の先】(7)

全国裏探訪取材班は、ついに舳倉島北端まで到達した。一日一往復の船の出発まで45分に迫った取材班は急ぎ足で残りを取材する。

恵比寿神社近くのケルン。ここのケルンも非常に印象的だった。積み方が際どくて妙に取材班の何かに引っかかった。灯篭にも見えるし、五輪塔にも見えなくはない。地震が来たら一発アウトだろこれw

少し引いてケルンを観察する。前回も書いたようにこのケルンにはいろいろな由来があるというが、どれも決め手に欠くが、どれもそれらしい。一説の海女さんの漁場の目印もそれらしいし、これだけたくさんのケルンがあれば、観察者側の位置が変われば、当然なれど石の見え方の配置が異なる。例えば。上の写真の位置から観察者(カメラ)が左に動けば4つある真ん中2つのケルンの位置が(あたり前だが)逆になる。ただケルンが一体一体同じような形ならば移動したのが分かりにくいが、一体一体形が違えば、海女さんが漁に必死で位置を覚えてなくてもも直感的に移動したことが分かるだろう。そのために一体一体わざと特徴的に形が違うとすればよくできている。で、何も知らない取材班のような部外者がそれを見ると、独特さ故、宗教的な何か。に見えてしまうのかもしれない。

このケルンは正当な積み上げ方だな。

取材班は、3時間弱かけようやく住居エリア北側まで戻って来た。

住居エリアと言っても、まだ港までは距離があるので、この辺は舳倉島の中では過疎地区。少し内陸に建てられた家屋は既にズタボロに。厳しいな。完全に住めない。

この辺の住居エリアはよくよく見てみると、裏に完全崩壊した家屋があったり、もうバラック同様の小屋があったり。

燃料のドラム缶だろうか、プロパンガスもこの通り。放置プレイ。

「伊勢神社鳥居」

そうこうしていると、またまた社を発見。

 

「伊勢神社」

このしょぼい社が本当に伊勢神社か。とも思うが島では「やしろ様」とも呼ばれる神社だ。前回も奥津比咩神社の紹介の時に書いたが、昔はここに奥津比咩神社が鎮座しており全島の総氏神だったという。そして、奥津比咩神社が南に遷座してからは、この社が島での伊勢信仰の中心になった。そして8月夏の例大祭が海士町で行われるようになるまでは、神輿の御仮屋としてにぎわったという。

写真にあるように、本殿から見てら左側にあるタプの木は舳倉島最大級の大木で、神の依代として島民に昔から敬慕されてきた。荒廃していないところ見ると今でも崇拝の対象のようだ。

そして次回は舳倉島レポ最終回になると思う。

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(2016)