【熊本の】「八代」の旧赤線地帯と河童伝説。【第二都市】(5)

全国裏探訪取材班は、旧紺屋町を出て、旧中嶋町へ入った。遊郭のすぐ西側のエリアなので雰囲気、それっぽい建物や、商店を見つけた。さて、さっそく見て行こう。

「麻雀クラブ 三国志 ☎32-1031」

怪しい雀荘。いかにもって感じで、2階にあるようだ。

ドアには「十八才未満の方の入店はお断り致します。」

「質 村岡」

基本的にこういうエリアには質屋はセットですね。でも、建物は新しくなっていますね。質屋を新しく開業することもないでしょうし、昔は蔵なんかあったりして立派だったんでしょうかね。

その質屋の前には立派な妓楼でしょうか。すでに中嶋町に入り遊郭エリアから外れているとは思いますが・・

しかも、この建物奥には勝手口もありますね。右の建物とも連結されています。今は「新木村」という洋食屋になっている。地元では名店らしい。

「中華料理 味仙」これまた渋い中華料理屋もある。その交差点を南下する。

!!民家の壁に河童の絵?!妙によく書かれている。

なかなかきわどい描写のような気もしないでもないが、ギリギリセーフか・・どっちにしてもミョーな雰囲気には違いない・・

 

その下には巨大な河童像。これはただ事ではない雰囲気だな。

河童があると思うとその反対には「マージャンHOUSE ROYAL STADIUM」

「ロイヤルスタジアム」「英知と六感のパフォーマンス」えらい大袈裟なネーミングやけど要は雀荘・・またかよw

古い商店が立ち並ぶ。おそらくすべて空き家だ。地方は厳しいな。

 

裏探訪取材班は、赤色の星の位置まで歩いてきた。ここには河童伝説の地として有名。安土桃山時代からの貿易の港「徳渕の津」として栄え、さらに薩摩街道としての要衝でもあった。

「札の辻・十一里木跡」ここは江戸時代“薩摩街道八代宿”として整備された交通の要衝で、“札の辻”といって幕府や藩からの御触れを掲示していた場所だ。いわゆる高札場(こうさつば)。“十一里木跡”というのは熊本城から11里(約42Km)ということで木が植えられたらしい。

河童伝説と言うものもこの地が発祥で、巨大な河童像もある。この地で「河童」(かっぱ)は地方によって呼び名が異なり、ここ八代では「がわっぱ」や「がらっぱ」と呼ぶこともままあるらしいな。

「河童九千坊音頭」

河童河童と言うがどんな伝説なのか簡単に説明する。時は仁徳天皇の時代、西暦313年~399年ごろ中国大陸よりこの地に9,000匹の河童が上陸してきた。そしてこの河童はここ八代の球磨川に棲みつき、悪事の限りを尽くしていた。その河童を束ねてのが“九千坊”(きゅうせんぼう)という名前の河童だったらしい。ずっと悪事に悩まされ遂にこの地を治めることになった加藤清正が退治に動き出す。清正は河童の天敵である猿を九州中から集め、河童退治に乗り出した。さすがの九千坊をはじめとする河童は観念しこの地を追われ、筑後川の田主丸の馬場の蛇淵で落ち延びた。当時この地を治めていた久留米藩の有馬氏は「今後悪さをしなければ許す」として受け入れた。その懐の深さに、九千坊は心を改め、当時水害に悩まされていた筑後川の水神である水天宮の脇侍として、領民を水害から守ったという。

 

今でもその伝説は語り継がれ「河童渡来之碑」としても顕彰されている。

次回は、「徳渕の津」としてこの場所を案内していく。

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(2018)