【ロケットの街】北海道大樹町の「旭浜のトーチカ群」の内部に潜入する!【戦争遺跡】(4)

全国裏探訪取材班は、北海道大樹町の「旭浜のトーチカ」の内部を見に来ているのだが、今回はその回もついに最終回。残る様子を見ていこうとしようか。

「トーチカ内部の様子」

このトーチカには北東に向けた銃眼が開いていた。中から覗くとちょうど太平洋が見渡せるようになっており、基本的には内陸のトーチカと同じ造りのようだ。

これはメインの銃眼とは別の部分に開いていた銃眼?なのだろうか。それとも観測用の通用口なのだろうか。ちょうど角材が一本通るくらいの大きさ。

こちらが、銃眼と通用口の位置関係のわかりやすい写真だ。北東に銃眼、南東に通用口が開いている。

こちらが銃眼の内部から見た時の様子。砂浜の向こうに太平洋が見えるのがおわかりいただけただろうか。史実は1945年(昭和20年)8月に終戦を迎えたのでこのトーチカが戦う事は無かったが、終戦が無ければ連合軍の「ダウンフォール作戦」や、それに対する日本の防衛作戦「決号作戦(本土決戦)」に利用されていたのは言うまでもない。

その決号作戦において北海道は、第5方面軍が管轄する決一号作戦区として区分され、最終決戦を挑む予定となっていた。

ただ、このトーチカが作られた1944年当時の日本軍の戦術は、上陸部隊の弱点である海上や水際付近にいるときに戦力を集中して叩くという「水際配置・水際撃滅主義」を取っていた。

しかし、このトーチカの建設の後に起こった、サイパンの戦いにおいて日本軍の想定以上の艦砲射撃やトーチカなどの陣地構築が不十分だったことで水際陣地の大部分が撃破された。

「砂浜に並ぶトーチカ群」

結果、サイパン島の敗戦から上陸防衛の方針を大きく変更。従来の水際配置・水際撃滅主義から、海岸線から大幅に後退した要地に堅固な陣地を構築。そこを攻撃する「後退配備・沿岸撃滅主義」へと転換した。

そういう意味ではこの「旭浜のトーチカ群」は、築城から1年後には基本戦術には合致しない施設になっていたのかもしれんな。

ただ、そうした、後退配備・沿岸撃滅主義の戦術でも子のトーチカのような水際施設が不要だったわけではなく、この戦術においても水際のトーチカには玉砕前提の部隊(はりつけ師団・かかし兵団)が配置され、その部隊が敵上陸部隊をひきつけて交戦中に、比較的に装備が充実した後退配備の決戦師団を戦場に投入。敵上陸部隊を殲滅する作戦であったのだという。

トーチカ内部から外の人員を見たイメージ。手りゅう弾でも投げ込まれそうな感じなのだが、当時、もし敵が上陸した際はトーチカ内部からはこのように敵が見えたのだろうか。

取材班はトーチカを出て海岸沿いを見ると、奥にもまだまだトーチカがあるようだった。子の様子ならまだまだ朽ち果てはしないだろうが、北海道旅行の際にでも立ち寄ってみてもいいかもしれない。

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(2022)