【禁教令】「隠れキリシタン」が埋葬される「常在寺」を訪ねる【郡崩れ】(2)

全国裏探訪取材班は、長崎県東彼杵郡川棚町に来ている。この町に常在寺という日蓮宗のお寺がある。ここに隠れキリシタンの墓が寺の敷地の中に埋葬されていた。埋葬されている「カクレキリシタン」の墓はどういうものだろうか。

ちなみにこのお寺は350年経っているので、つまり350年分の歴史が詰まっていることになる。幸いにも空襲など受けていないため、墓の博物館といっても良いレベルで歴史が詰まっている。

実は墓にもランクやグレードがある、敷地がくくられている墓や本殿に近い墓は比較的にこの地での経済的に成功を収めた墓であったり、この地で権力を振るっていた為政者の墓であったりする。

もちろん家紋が存在していたり灯籠や祭壇の設置、門が取り付けてあると、墓の値段や墓石の彫り師の費用がかさむのは当然のこと。特に長崎の墓は全国的に見ても日本の中でも文化の融合が進んでいるので、敷地面積が広い墓が多い。なぜかという問いには垣内キリシタン墓地の記事を参考にされたい。

特に横にこの墓に埋葬されている死者の碑文があったり、画像左側奥にベンチがあるように墓で先祖と一緒に一族イベントを行うことはこの地は極めて日常的は光景であり、日本全国で一般的な粛々と行われる墓参りとは少し異なる。

かつてこの地は墓がたくさんあったのだろうと思われるが、判明した祖先の墓はまとめて先祖代々の墓として同じ敷地内に収めているようだ。

無論、先祖が途絶えることや、核家族や都心部に家が出ていくことによって、墓参りされなくなった墓もある。また墓石も身元不明になることも当然ながら存在し、こういったいつの間にか誰も訪れなくなった無縁仏もたくさんある。信仰は脆い存在のように見える。

10分くらい歩くと脆そうな階段が見えてきた。住職の話では近年の高齢化に伴って足腰が弱り、こういった急な坂の墓に登れず訪れることができないらしい。それもそのはず、よく見ると、階段は曲がっており、実際に登って見ると、段差が不均衡である。

どうもこの階段を登らないとお目当ての墓は見つからないらしい。

階段を上がってきたが、ここまで蜘蛛の巣の嵐であったがそう簡単にいかせてくれないようだ。

やはり想像していた通り道は険しい。まだ暑い時期であったが、長袖長ズボンでないとこういった道は怪我をする可能性が高い。また予期せぬ虫刺されも多い。

足元を確認しながら進む。先ほどの看板に20mと書かれていたが、進むスピードが遅いためか非常に長く感じる。もうすぐのようだ。

少しずつ進んでいくと「キリシタン墓碑」があった。そうこの地には1つだけしかない。それにはきちんとした理由がある。

この地では数百名の隠れキリシタンが発覚し「島原の乱」と同じように聖人化したり聖地化など新たな信仰の拠点や対象となってしてしまう恐れから隠れキリシタンの墓は徹底的に破壊された。その為この墓以外はほぼ跡形もなく粉々にやられてしまったといっても過言ではない。

しかしながら、この墓1622年に没した「富永二介の妻」の墓は奇跡的に難を逃れた。石碑に書かれている文字はマンシアと書かれているらしく、キリシタン名ではないかと言われている。

横から見ると、難を逃れたとしても、当時は禁教期真っ只中だったために仏式の墓と同じように立派に今のように墓が建てられなかったに違いない。側に置いてある石も削り出した石ではなく、どちらかと言えば寄せ集めのような石ばかりである。

周りの墓を見ても隠れキリシタンの墓らしきものは存在せず、どうやらここ一つだけだった。恐らくこのあたりにもあったのだろうが、もう判別のつかない状態なのだろう。

信仰とは一体なんだろうか。信仰が薄らいだ者や信仰を信じ守り続ける者そして信仰の力を恐れる者の存在がこの寺に垣間見えた。世界では未だに同じ人種ですら信仰の違いによって争いが続いている。結局が正しいのかなんて立場が変われば主義主張変わるのである。そういう意味では正義は一つじゃないのかもしれない。

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(2021)