【禁教令】「隠れキリシタン」が埋葬される「常在寺」を訪ねる【郡崩れ】(1)

全国裏探訪取材班は、長崎県東彼杵郡川棚町に来ている。総人口13000人ほどのこの町に実は隠れキリシタンの墓が仏式のお寺の敷地の中に埋葬されているはご存じだろうか。隠れキリシタンの話は大分や長崎の他の記事でも取り上げているが、また読者から「地域によって風習や考え方が違う」というお話があり取材依頼があった。

長崎県の中央部に位置する町であるが、代表的で有名なものでいうと、日本の風景100選にも選ばれている棚田が有名だろう。人口が増え出したのは第二次世界大戦中でリアス式海岸や大村湾に面し、島に囲まれ静かな湾であったことから、片島魚雷発射試験場なども有名なスポットである。

町自体は山に囲まれており、非常に静かな町で正に隠匿にはもってこいの町である。

残念ながら、少子高齢化の波がこの町も避けられない事態となってきており、商店街はほぼゴーストタウンと化している。

お寺は近くの商店街から10分程度歩いたところにある。ここが「常在寺」である。350年の歴史を誇る日蓮宗のお寺である。つまりおよそ1670年前後からこの地にあったお寺ということである。隠れキリシタンの歴史からいけば1637年にかの有名な「島原の乱」またの名を「島原・天草一揆」が発生した時期であり、ちょうどキリスト教の禁教期にあたり弾圧が厳しかった時期である。

ちなみに補足をしておくと、隠れキリシタンの弾圧の厳しさは時期や地域などによって地域色が異なるようだ。長崎に立つ教会や十字架を堂々と掲げた墓は「禁教令」が解かれた後の建築物である。当たり前だがそんな時期に堂々と立てようものなら厳しい弾圧を受けた。

「霊山浄土にてはかならずゆきあひたてまつるべし」これは日蓮聖人の「是日尼御書」に書かれた引用文である。この解釈は読者にお任せしたいところだが、隠れキリシタン達はこの世では残念なことに隠れて信仰をするしかなかったが、死後の世界では信仰を深めたかったのだろうか。

350年もこの地に存在していることもあって、お寺自体は非常に荘厳な建物である。ちなみにお寺の補足をすると、毎年読経やジャズコンサート、また過去には婚活パーティを実施するなど、新しい取り組みを行っているこのご時世にアグレッシブに活動を行うお寺である。公式ページやFACEBOOKもしているので、是非参考にされたい。

お寺に入り左手に行くと、山手の斜面を利用した墓地群がある。現在は恐らく土地不足や高齢化による参拝の難しさもあり納骨堂が主流のようだ。

 

「長崎県指定史跡 キリシタン墓碑」

丁寧に案内版があるのでひとまず安心なのだが、隠れキリシタンの墓地は隠れているから価値があるのであって、このように案内板があったとしても取材班が行く墓地は経験上油断できない。なぜなら足場が悪い、途中から案内がない、はっきりわからない、草木の茂みで不鮮明、その他害虫の住処になっているなど行く手を阻むものは多い。例え敷地内としても。次回山道を進みましょうかね。

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