全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。ここにははるか昔江戸時代に薩摩藩の財政を支えた山ヶ野金山が存在した。18世紀後半から19世紀初頭までかつて全国一の金の採掘量を誇ったこの地を調査する。
先に一言申し上げておこう。この地は他の鉱山、特に石炭系鉱山とは時代背景も異なり、また鉱山も金であるため、金山があること自体告知されているものの、詳細に書かれた参考文献が非常に少なかった。
「山ヶ野金山史跡入口」
細い道に入っていく山ヶ野金山史跡入口と書いてあるもののまだまだ先にあるようだ。史跡らしきものは何もない。
しばらく進むと民家が見えてきたのだが、空き家が目立つ。暑い時期の撮影だったが、草木の手入れも悪く、人影や生活感も感じない。ある意味不気味と言えば不気味なところだ。
歴史を語ってくれる看板を見つけた。かつて1万2千人ほどが暮らしていた大都市のようだ。まーゴールドラッシュに湧く街は歴史から学ぶに、鉱山資源なくなれば一転、目的を失うため同じく衰退の道を辿る。
「横川町山ケ野地区史跡案内図」
これはこの辺りの地図なのだが、実に面白い。鉱山には必ずセットになっている場所がある。鉱山ならびに従業員の無事を祈る神社、汗水垂らした男たちの癒やしの場である遊郭、そして鉱物を盗んだりその他何か許しがたい違反した場合や強制労働者を管理する処刑場並びに刑務所、人の出入りを管理する関所、そして採れた鉱物を管理する監督局(奉行所)が必ずセットで存在する。間違いなさそうだ。
ではまず関所から探索することにする。関所であった道はどこも現在も使われている道が多く、割と整備されている。ただ、侵入者を文字通り関止める役割を果たすためにあえて狭くしていざという時に備えるように作られてもいる。
「金山口屋(関所)跡」
ここが金山口屋跡だが、当時も金の密売もあり、更にはキリシタンや無法者も取り締まっていたようだ。欲に目が眩んだ者はその目的の為なら何をするかわからないのは今も昔も変わらない。
精錬所へ機械を運ぶ為に広く作られていたそうだ。またお分かりいただけるだろうか。機械を運ぶためか、車輪の形に道に型ができて若干窪んでおり、真ん中が盛り上がっている。馬車などで引き連れて持ってきていたのだろうか。まぁマジレスすれば軽自動車ですけど。
「刑所(牢屋)跡」
そして関所のすぐ近くに刑所跡があった。もう誰も手をつけていないため、草木は生え放題になっている。金山で罪を犯した野郎だけではなく、江戸時代では薩摩に流された人間もここに入ったことがあるそうだ。こういったところに流れてきた罪人は今日の歴史でもよくある強制労働が行われていたのだろうか・・・
牢屋跡となっている場所の奥は建物らしきものがあるが、雑草で全体が覆われてもう何がなんだかよくわからない。取材班は奥を捜索しようと考えたが、蜂の大群と出くわしたため、結局のところこの建物が何かははっきりしていない。しかしながら、江戸の建物がこの状態でそのまま残っているということは考えにくい。となると民家であろう。随分と時が止まっているようだ。
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(2020)