【黄金の国】「山ヶ野金山」は思いのほか広かった!【ジパング】(2)

全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。ここには18世紀後半から19世紀はじめに全国一の金の採掘量を誇った山ヶ野金山があった。栄枯盛衰を辿ったこの金山に果たして一体何が残っているのか・・・

牢屋を出てしばらく中心部に向かって歩くと、何やら地蔵が見えてきた。

「えびす堂」

えびす様と言えば商売繁盛や大漁にまつわる神様である。よくこの地蔵を見ると、真ん中だけ石の風化具合がズレている気がするのだが、下の土台はそのままのようなので、当時からこの位置にあったのは恐らく間違いなかろう。実はこのえびす堂は資料がない。ただ、ここが十字の道路の真ん中にあるので、恐らくこの辺りは当時商店などが並んでいたのであろう。

側道には橋があった。石畳の劣化の具合はえびす堂の足元と屋根部分と近しいため、恐らく当時物であろう。右上に墓が見えるのため、お寺が近くにあるのだろう。進んでみる。

どうやら墓地に向かう橋だったようだ。ちなみにさっきから左上の墓といい、えびす堂といい、人の手入れした跡は見受けられるが、ここまでのルートで真っ昼間なのに誰一人会っておらず、車も走っておらず、生活音すら何も聞こえない。

お分かりいただけるだろうか。古いもう続いていない墓を足元に非常に立派な墓が建っている。ゴミ同然の置き方に相当な違和感を感じる。

どうも太平洋戦争あたりで亡くなった墓をはじめ、その先祖達の立派な墓だった。立派にも「丸に井筒」の家紋入の墓である。この地域で財を成した一族だったのかはわからない。

周りを見渡すと新しい墓から古い墓まであちらこちらに並んでいる。奥に進んでみることにする。

よく見てみよう。このお墓朱文字で書かれている。朱文字を入れた墓は生前に戒名をあたえられた印としての意味があった。お察しの通り「安政四年」と書かれているので、もうこの墓の主はとっくの昔に永眠しているだろうが、安政四年は160年以上前なので、西暦で1860年程度。ちょうど金鉱山が栄えていた時期だろうな。

 

ここは掃除用具置き場なのだが、とても面白い看板を見つけてしまった。右側にからやたらとゴミを置くな、持ち帰れという看板が目に留まる。この看板から推測するに恐らくこの墓場は一度花などを置くと、誰か管理や手入れをしているわけではないため、お参りにくる人間がそのまま取り替えてゴミを置いて変えるのだろう。

マナーが悪いのは何も若者だけではない。ここなら良かれと思ってやっている行動が結果的に他人の迷惑になっているからこういう看板が張られるわけだ。電車の天吊のマナー広告と同じである。痴漢や盗撮をする輩がいるから、また席を譲らない譲れない人間がいるから啓蒙するのであって、実際に正常に履行されていれば何も本来ないはず。

比較的新しい墓の側に興味深い石碑があった。これをよく見てほしい。死亡した年齢に偏りが激しい。約90年から100年ほど前、幼い子どもは割と死に易い状況にあったのだろう。それと同時に大人になって亡くなった先祖も今の高齢者と比べると長生きできていない。これが当時の時代背景を物語っている。鉱山は当然この頃閉山しているはずなので、ちょっと考えにくい。今となっては理由がわからないけど当時はこんなもんだったんでしょうね。南無・・・

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(2020)