【東京最古】「東上野コリアンタウン」を見物する【キムチタウン】(2)

全国裏探訪取材班は、上野駅から徒歩3分の「東上野コリアンタウン」へと足を運んでいる。実はこのコリアンタウン。東京最古のコリアンタウンと言われているんですけど、本当なんですかね?

そんな東上野コリアンタウンへと足を踏み入れてきた、全国裏探訪取材班のだが足を踏み入れるとさっそく大声で朝鮮語を話している集団を発見。どう考えても取材班の耳には“ニクニニタハムニダ”(肉に似たハムニダ!)としか聞き取れないwてかそれにしても、群山商店の看板の色使いがいかにも朝鮮カラーだな。

「台東区 東上野二丁目 15」

「焼肉冷麺 大門 京城料理」

こちらも、最近新大久保では見かけないタイプの古いタイプの焼肉屋だな。台東区にある大門だったらアッチの大門と思ってしまう取材班はもうかなりやられてる。

2階、3階も店なんですかね。よく見ると窓には鉄格子のような枠があるんですけど、食い逃げ防止のためなんですかね。逃げられないという意味では吉原の大門と同じなのか。

「焼肉 馬山館 冷麺」

こちらは焼肉と冷麺の店馬山館。馬山って朝鮮の南部釜山の左側にある、馬山(マサン)っていう町の名前から取っているんでしょうか。主人がそこ出身とか?やはり、釜山館とか、京城館とかつけない当たり旧タイプのコリアンタウンって感じがするなぁ。

「第一物産 上野本店」

で、この馬山館の隣には第一物産上野本店と言うキムチショップがあるな。この物件が立ち並ぶ辺りは、東上野コリアンタウン「キムチ横町」と呼ばれているようだ。

「~母から娘へ伝わる~ 伝統のキムチ」

そこには、堂々と在日X世から在日X+1世へと伝わっているように見える、伝統キムチの看板が恥ずかしげもなく掲げられる。

上野本店では「創業1960年」と書かれているようだが、この東上野コリアンタウンの中では歴史が浅いな。元々この東上野コリアンタウンは、戦後間もなく発生したアメ横の近くにあった、御徒町商店街の露天商が行政当局によって強制退去をされ、追放されてアブれた朝鮮人の露天商が1948年(昭和23年)にこの地にやってきたのが始まりだという。

 

「韓国料理&焼肉 サムギョプサル専門店 海雲台」

当初は「国際親善マーケット」と言ってスタートしたらしいが、国際とか親善とは所詮は朝鮮人によるカムフラージュで実態は御覧のようにコリアンタウンだったわけだ。

当初は、国際親善マーケットだったが次第にキムチ横町と言う名前が前に出て行くことになっていく。そんなネーミングに名前負けしないよう店内にぎっしりと並ぶキムチ。

そんな、オモニの味を持をめてさっそく朝鮮人がやってくる。ムコウの人って辛いものを好んで食べるという遺伝的特異性があったりもするってどっかの論文で発表されてたりするんですよね。食い物の志向すら遺伝レベルで違ったりすんのに思想が奴らと相いれるわけないんですよね。

「東上野コリアンタウン」

ってことで、次回はキムチ横町の路地裏へと入っていきましょうかね。

正直美しい日本のためには、全員お引き取りいただきたいんですけど、まぁ裏探訪のネタも無くなるんで緩やかに消滅することを願う。

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(2020)