【小樽の】「蟹工船」作者「小林多喜二」の名作「工場細胞」のモデル“H・S工場”こと「北海製罐小樽工場第3倉庫」を見物する。【裏工場】(1)

全国裏探訪取材班は、小樽にやってきましたよ。小樽と言えばかつて鰊漁で栄えた。小樽港に運河が作られ石造りの倉庫街が立ち並ぶ。そんな倉庫街は今はカフェやビール園があったり、インスタバエのノーテンキスイーツ女子がこぞって訪れる観光地だ。北海道で言えば札幌に続いて人気のある街じゃないですかね。

「小樽駅」

さすがはかつての北の玄関口だけあってノスタルジックな造りをしている。なかなか重厚感あっていいんじゃないでしょうかね。ちなみに小樽駅の開業は1903年(明治36年)だ。

「小樽運河」(南運河)

この辺が普段では賑わいかえる小樽運河なんですけど、コロナ禍とかなんとかでこの通り。観光客はまばらだ。ノーテンキスイーツ女子は風評をもろに受けてあまり生息していないようだ。

「竜宮橋」

まぁ、取材班としてはある意味人が少ない方が取材がしやすくていいんですけどね。この橋は竜宮橋という小樽運河の中間地点。小樽運河は、南運河と北運河に分かれておりスイーツ女子が訪れるのはカフェやショップなどが多いもっぱら南運河。

「小樽運河」(北運河)

写真下部の運河が狭くなっているのがお分かりだろうか。小樽運河は元々幅40mあったのだが1986年(昭和61年)遊歩道と幹線道路建設のため40mから20mに埋め立てられてしまった。なので、南運河よりも北運河の方がかつての面影を残す。

南運河は幹線道路が建設され観光地化。本来の運河の風情が無くされてしまったが、北運河を見て行くと本物のノスタルジックが残っている。さて見て行きましょう。

こちらは北運河。幅が広くかつて海産物や石炭を内地へ積み、内地からは人の往来、必要物資が積み下ろしされていた。明治の記録によると数百隻ないしは千隻ほどの小型の舟(艀)がここを往来していたという。

当時は、機械化されておらず完全に人力だったため、小樽の人口も現在の12万人の1.5倍強の20万人は居たのだという。ただ、そんな華々しい港町にも“裏”の表情があるのを取材班は知っている。

それは北運河に隣接するこちらの物件。左奥に連なる単なる倉庫や工場も関連物件だ。そして中央古めの物件、倉庫に見えるかもしれないが・・・この倉庫は発展した小樽の発展に一役買った産業の一つではあるのだが、その発展の裏に労働者の涙ぐましい努力と“産業合理化”と言う冷徹な現実があった。

 

「北海製罐小樽工場第3倉庫」

このドデカイ物件少し前に建てられた倉庫に見えるだろうが、実はこの物件が建てられたのは1924年(大正13年)の事だ。もうすぐかれこれ築100年になろうとしている。

そう。この物件こそ蟹工船で有名な作家小林多喜二の名作「工場細胞」の舞台だ。次回もこの「北海製罐小樽工場第3倉庫」を見て行きましょうかね。

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(2020)