【B級】国道10号線沿い「ドライブイン薩摩隼人」「戦史館」に突入する!【戦史博物館】(7)

全国裏探訪取材班は、国道10号線にある「ドライブイン薩摩隼人」に併設している「戦史館」に来ている。この戦史館はかなり規模が大きい。生粋な日本人なら見ごたえがあるので立ち寄っても損はない。さっそく続きを見て行こう。

展示はこのようにDIYで展示スペースが設けられて、椅子るも置かれているのでじっくりとご覧いただく事が出来る。手作り感満載なのだが内容は決して悪くない。

当時出征の時に使われたボストンバッグ。今でも往時のまま保管されているようだ。

この革製の長靴は陸軍の将校の物だ。戦後退役軍人が持参して寄贈してくださったものだ。靴箱に入れて履かなければ数年でカビだらけになるが、この靴は保管状態がかなりいい。

次の遺留品はこの金属片。仮に道端に落ちていても見向きもしない欠片だが、これは戦中に日本の三菱零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)が桜島のみかん畑に墜落したときの物だという。当時は“超々ジュラルミン”と言っていたそうで今で言うと7000番台のアルミ合金でアルミ合金の中では最高強度。当時最新の素材だったという。

「戦艦陸奥の遺品」

昭和47年広島の江田島からここに来たらしい。ある場所に3日間欲しいと頼み込んだようだがなかなか貰えず、最後に鹿児島から来たんです。と言うと譲ってくれたらしい。当時はいい時代だったんだな。戦艦陸奥と言えば1943年(昭和18年)6月8日に主火薬庫が謎の爆発をして山口県岩国市の柱島沖に沈んだままだ。

「軍用ラッパ」

兵隊にとってこのラッパはまさにパブロフの犬状態だったらしい。疲労していても訓練中は寝られないがこのラッパが鳴れば一瞬で眠りに落ち、朝ラッパが鳴れば一瞬で身支度をする。当然起きなければシバかれるのは言うまでもない。

ある取材班の御爺さんも、深夜眠っていたおじいさんの傍らでラッパを拭いたらそのおじいさんは一瞬で起きて立ち上がったという。現役時代の習慣は何年たっても抜けない。と孫に話していたようだ。

「明日がある 一歩前進」

 

「敵艦とさしちがえるは 日本男児の本懐」

今の具体的な戦略もなく9条ガ―とか、平和ガ―とか言っている左巻きの人間から見るとこの特別攻撃隊なんぞは単なる被害者でしかないのだろうか。決して、命を懸けた彼らに対して敬意を払うことはない。

「七生報国 世界平和を祈りつつ」

同じ世界平和と言うなら、彼らのように命を懸けてやってほしいものだと思う。例えば天安門広間でデモするとか、漁船で竹島の近くまで行って横断幕掲げるとか。言論でやるなら命がけでやってほしいものだな。そこまでの根性は無いとおもうが。

「燃える闘魂眼にも見よ どうせやるなら でっかいこと なされ飲みたおせ」

「海軍兵学校五省 一、至誠に悖るなかりしや 一、言行に恥ずるなかりしや
一、気力に欠くるなかりしや 一、努力に憾みなかりしや 一、万精に亘るなかりしや」

これは、五省と言って昭和7年海軍兵学校長松下元が考案したものだ。これは現代風に言うと、1、誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか。2、発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか。3、物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか。4、目的を達成するために、惜しみなく努力したか。5、怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか。と言ってものだ。もしかすると現代人は全て✕と言う人も多いのではないだろうか。取材班もギクッとすることも無くは無いがw気を付けたい。

 

「英霊 鎮魂 310万の霊が眠る 友よやすらかに」

じっくりと見学をしているとかれこれ2時間も時間が経ってしまっていた。最後にドライブイン薩摩隼人オーナー兼戦史館館主に挨拶をすると、取材班はコーヒーまでご馳走になってしまった。取材班は戦中を体験した世代ではないが思う存分オーナーと話が盛り上がった。盛り上がりすぎて別れ際“萬歳”をしたのはいい思い出になりそうだ。いつまでもお元気で。

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(2020)