【突っ込んでも地獄】特攻帰還者の収容施設「振武寮」跡を見てきた。【逃げても地獄】(1)

全国裏探訪取材班は、文字通り「裏」を求めて常に取材している。誰も知らないその裏の世界。ただ、その裏の世界は実は知らないだけで、この世の中の森羅万象に点在している。

「西鉄バス 南薬院停留所」

福岡県の中心部天神から1キロほど、いたって何の変哲も無い停留所な訳だ。交通量的にもかなりあり、都市部の国道並みにある。

現在の行政区分でいうと、福岡市中央区薬院四丁目19という場所にあたる。いつも裏探訪取材班が訪れる場所ではない、本当にいたってノーマルなスポットに外見上は見える。

「マナーアップふくおか」「青少年に愛の・・かけましょう!」

落書きだらけのガムテープでマナーアップと言う言葉が泣いているような気もするが、それは修羅の国を内包する福岡なので仕方ないか。ただよく見て欲しい。右下にある石碑は単によくある境界やガス管の指標ではない。

はじめ見たバス停のある薬院大通り沿いには、これらの石碑が歩道沿いに数個ある。もう少し寄ってみよう。

「陸・」

この石碑は埋もれたような形になっており、上の部分だけ露出している。これは、かつてここにあった「大日本帝国陸軍第6航空軍司令部」があった場所を示している。

この第6航空軍、通称“靖”は1944年(昭和19年)に大東亜戦争の戦局悪化により本土決戦に対応するため、当時の軍の航空学校を軍隊化し教導航空軍として編成。軍に編入した。学校を軍として編入すりあたりで相当戦局が切迫化していたのが伺える。

そしてその後、同年12月この教導航空軍を第6航空軍に改編。更なる本土決戦に備えて防衛総司令部の支配下に置かれることになる。それから翌年1945年(昭和20年)になると沖縄戦が開始されると、海軍連合艦隊の指揮下に入ることになり沖縄戦の航空作戦に従軍。この時は連合艦隊の航空部隊と共に特攻隊としての作戦かメインだった。

この大日本帝国陸軍第6航空軍司令部は本土決戦のために設置されたものだったが、決戦までの間は主に特攻作戦もその大きな作戦の一つとして行われていた。特攻隊とは今更説明する必要もないが“特別攻撃隊”の略で攻撃目標への誘導装置などがない当時、爆弾を抱えた飛行機や専用の特攻兵器によって、人間が最後まで操縦等をして体当たりする攻撃のことを言う。

 

特攻隊というと、日本と言う祖国と家族を守るため、命を投げ打ってそれと引き換えに多数の敵を壊滅させる。という文字通り決死の覚悟で挑む作戦だった。そのため現代では悲惨さと共に美談として美化されることもある。今回の取材ではそれを肯定も否定もせず、事実だけを淡々と見ていこうと思う。

特攻隊といっても一度飛び立つと、飛行機の故障や、目的に会敵出来ない。特攻を阻まれた。など色々な要因があるが、やはり特攻隊もひとりの一人の人間であってどうしても自分の命が惜しくなり引き返してくることも多々あったと言う。そらそうだよな。で、そんな引き返してきた隊員を収容する施設がここにあった。それが今回の「振武寮」跡だ。

次回もここを見ていこう。

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(2019)