全国裏探訪取材班は、うどん県高松市へとやってきた。うどん県なのだがうどんを食べに行ったわけではなく、仕事で言ったんですけど、その道すがら例のようにアレなスポットを発見したのでここに紹介していこうと思う。発祥は「八重垣遊郭」で、後年は「城東町ソ-プ街」になった場所だ。
「香川県高松市」
それは高松駅から東へやく1Kmほど行った場所にある。さて、早速そのスポットを見ていくとしましょうかね。
「城東町」
今回のスポットは、住所で言えば〒760-0036 香川県高松市城東町X丁目あたりだろうか。ちょうど瀬戸内海に半島のように突き出している港だ。
この半島はもともとは、高松港発祥の場所とされ、江戸時代までは四国最大級の貿易港として大いに栄えた。当時は城東港とも呼ばれていた。
「玉藻城(高松城)」
なぜ城東港と呼ばれていたかと言うと、旧讃岐国を治めた生駒氏・松平氏の居城玉藻城の東に位置する港だったからだ。
中世から、城東港として交易の中心となっていたこの地は、明治維新を迎え近代になった後も高松港として栄華を極めていくことになる。当然儲かっている海の男が大勢いたという事は、お色気系の産業も栄えていくわけだ。
「現在の城東町の様子」
そういうわけで、中世江戸時代の享和年間(西暦1801年)ごろより、この地に新地(遊郭)が築き始めたのだという。それでは、早速地上より現場を見に行きましょうかね。
取材班は、城東町の半島西側より探索していこうと思う。お、早速ピンク系の物件が堂々と鎮座してんな。
「東浜恵美須神社」
そうそう、そして、鎮座と言えば城東町の入り口に鎮座している、この神社は見逃すことができない。表記は東濱恵美須神社と刻まれている。
「慶応元年六月建立」
この鳥居が建てられたのは、慶応元年なので1865年のことか。慶応と言えば江戸時代最後の元号なので、この神社は江戸時代からあるものらしい。
「萬民快樂」
しかも、その江戸時代からある鳥居には萬民快樂の文字が。これはもう、その当時から遊郭的な営業が営まれていた動かぬ証拠だ。それにしてもド直球な四字熟語だなw
玉垣には「新地睦會」との文字が読める。これは一体どの時代のものなのだろうか。大阪の某新地の料理組合みたいなもんなんでしょうかね。それぞれ屋号と代表者が刻まれている。
「東浜恵美須神社本殿」
境内には商売の神様である、お稲荷様も鎮座。もしかして遊女なんかも商売繁盛に信仰の対象だったのだろうか。現在もその姿を今に残している。
そんな神社の裏では現在でも裏の商売が繰り広げられている。これも商売繁盛の神社の御利益なのだろうか。
次回も、「八重垣遊郭跡」こと「城東町ソ-プ街」を徘徊していきましょうかね。
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(2021)