全国裏探訪取材班は、島根県松江市にある島根県庁内の「竹島資料室」にやってきた。前回までは朝鮮/韓国による竹島領有の根拠がかなり薄くまったく信ぴょう性のないことが分かった。それなのになぜ現在が竹島へ日本人が簡単に渡航できないようになってしまったのだろうか。今回は戦後の朝鮮による竹島強奪の事実を見ていこう。
「サンフランシスコ平和条約において、竹島は日本の領土であることが確認されました。」
朝鮮半島の権益を巡る日清戦争および日露戦争の後1910年(明治43年)には日本が大韓帝国を事実上滅ぼし併合した。それから1945年(昭和20年)に大東亜戦争(第二次世界大戦)で日本軍は敗戦。連合国最高司令官指令SCAPIN-677によって竹島に対する日本政府の施政権が一時的にに停止した。
「久見漁協組合員の竹島での漁業権の行使(昭和29年5月3日)」
その後、連合国による統治下を経て1951年(昭和26年)にサンフランシスコ平和条約を締結日本の主権が回復したと同時に、同平和条約に49カ国が署名、竹島は放棄すべき領土に明記されなかった。サンフランシスコ平和条約草案時期韓国は竹島は日本が放棄すべき地域に竹島を入れるよう要請したが、米国務次官補から韓国大使に宛てたラスク書簡では「竹島は1905年より日本の管轄下にあり、「独島」が朝鮮の一部の領土であったことも主張されたこともない。(要約)」と韓国側の主張を退けた。
「韓国は国際法に反して一方的に「李承晩ライン」を引き、竹島を不法占拠しました。」
その後、竹島の施政権が復活した後は、日本人漁師による竹島での漁も再開したのだが、正当な手続きによる主張が頓挫した後は国際法を踏みにじり無理やり1952年(昭和27年)「李承晩ライン」なるものを一方的に設定。
「韓国被拿捕襲撃図」
この図は李承晩ラインの前後1947年(昭和22年)~1954年(昭和29年)に日本の漁船が朝鮮の組織に拿捕や襲撃された場所を記した地図だ。
「南朝鮮・韓国による日本漁船の拿捕状況」
サンフランシスコ平和条約発効前から一定数朝鮮による取り締まりによって未帰還隻数が計上されているが、条約発効後のほうが沈没隻数、未帰還隻数が多いことがわかる。平和条約によって竹島を取り返せないと分かった後の嫌がらせなのだろうか。
まさに言葉が通じないキ●ガイ民族。基本ロジカルな話が通用しないんで、奴らは相手が弱い敗戦国と知っているからやりたい放題だ。まさに戦後ドサクサの極致だな。
で、この拿捕された船員たちは南朝鮮の収容所に留め置かれ、そこから韓国抑留が始まる。外国人収容所であったが、その中で看守は特に日本人への虐めが酷かったらしい。その時代の朝鮮の大人は日本による朝鮮の統治でプライドを傷つけられたと認識しており、その恨みを晴らすかのような想像を絶する壮絶な虐めだったのだという。
「竹島の不法占拠」
暴力で漁船が拿捕されたり、事実上の民間人の捕虜を取られてしまっていた日本だが、その後も、平和国家として一貫して平和的解決を望んで立ち回っていたが、朝鮮人の挑発はエスカレートし最終的にその抑留された民間人を朝鮮からの不法入国者と相互送還させられたり、日本による朝鮮への請求権を放棄させられるカードとして利用されたり、その後の日韓基本条約の進展の再開を約束されたり、まんまと朝鮮の策略に嵌ってしまった。
「竹島」
さて、次回は竹島の現状を見ていきたいと思う。この美しい「竹島」はからゴキブリを追い払うことはできるのだろうか。
#B級スポット #頭おかしい #頭悪い #DQN #これはひどい #コリアン #マニアック #不法占拠 #事件 #人権 #在日 #廃村 #戦後ドサクサ #放置プレイ #政治 #歴史 #観光地 #軍事 #戦争
(2020)