全国裏探訪取材班は、全10回の長きにわたり「中村遊廓」をだらだら見てきた。まずはここまでお付き合いいただいた読者の皆様に御礼を・・で、最後の今回も「全国遊郭案内」の当時の屋号なんかも見ながら残る中村遊廓を見て行こう。
「大門町 雨國樓 紋長壽樓 第一栗本 璃池樓 末廣樓 銀波樓 鈴本樓 久松樓 和合樓 七寶舎 第三栗本 桔梗屋 新金波樓 國森樓 子の日樓 高砂樓 福岡樓 福岡別館 牛若樓 森田樓 金波樓 第二栗本 大山田樓 楽長壽樓 米本樓 大吉樓 豊田樓 加茂川 第二福住樓 新吉古」
全国遊郭案内の大門町の妓楼一覧の中に「福岡樓」とか「福岡別館」とか言う妓楼があったようなのだが、ここでピン!ときたらあなたも裏探訪上級者。この現代の“インペリアル福岡”も当時の福岡樓と全く同じ中村区大門町の角地にある。現役で生き残ってんじゃんw
しかもこの角地に立地するインペリアル福岡。実は、大正12年以前の大須時代からこの“福岡”と言う屋号が存在し、その大須の当時から角地を占有していたらしい。名古屋在住のK氏は年齢層が高め。とかなんとかどっちかと言うとネガティブに評価していたが、この福岡樓はこの名古屋で100年以上続く名門なんだな。そりゃ100年以上の歴史からすると、生まれて30年(才)のホステスが多いというのはまだ若い嬢という事なのか・・・w
「壽町 河内樓 第二自由樓 第二千壽樓 望月樓 盛福樓 新稲本樓 福梅樓 盛長壽樓 新千壽樓 新山水樓 吉川樓 山海樓 神風樓 開進樓 大正樓 新曙樓 和生樓 玉川樓 来清洲樓 美濃長樓 鶴迺家 大米樓 豊春樓 美濃卯 三ツ輪屋 恵美子樓 千壽樓(続)」
さすがにブラジル樓やアラモード樓、ハーベストムーン樓はさすがにないが、この地に何らかの妓楼があったのは確かだ。
「日吉町 泰平樓 枕勝樓 栄王樓 四季島樓 新井筒樓 新和合樓 壽樓 小川樓 久長樓 日吉樓 漣樓 松島樓 武蔵屋 橘樓 本家長壽樓 四海波樓 新長壽樓 福谷樓 石星樓 稲本樓 稲本別館」
さて、全国遊郭案内にはこのような妓楼の一覧が掲載されていた。この量物凄い量だ。一般的全国遊郭案内は文中に屋号が書かれていることが多いのだが、中村遊廓は町別にしっかりと一覧表示されている。当然ながら、GHQに潰された全国の遊廓の中でも当時ここまでの規模を誇っていた遊郭だけあって夜になれば怪しいネオンがともされ、現代においてもホステスと言う名の娼妓が出迎え、男は登楼する。そんな光景が今でも見ることができる。と言うのは特筆に値する事柄だろう。
「大門西分」
そうこう色々お話ししながら、あとはこちら。中村遊廓の北東の斜めの路地だ。外側からアクセスすると見事に45度づつYの字になっているのがお分かりいただけよう。
さて、残り最後の中村遊廓の角地だ。北東、南東、南西の角地は綺麗に四隅に張り出しているのだが、この素盞男神社もある北西に関しては少し歪だ。
なぜ北西だけが歪なのかわ分からないが、地図を見て行くとこの素盞男神社が少し影響しているようにも思える。この神社は1933年(昭和8年)に遷座してきたらしいのでその時道路の形が変わってしまったのか。それとも他の要因があるんでしょうか。
このように中村遊廓の現在は、ごっそり空き地になったり悲しい様相がを呈している個所もあったりもする。遊郭マニアの間では有名妓楼が立て続けに無くなり。今では見どころが無くつまらない。と言う意見をちらほら聞く。
ただ、よく痕跡を探せば、福岡樓とか、当時の妓楼がデイケアセンターになっていたりとか、まだまだ当時からの時代の連続性を見ることができると思う。しかも、現在でも夜になれば当時の中村遊廓とやっていることは何ら変わらなかったり・・。この地に染み付いた裏商いの血統はまだ消え去っては居ないようだった。
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(2020)