全国裏探訪取材班は、宮城県仙台市の「小田原遊郭」へと足を伸ばしてきた。前回はそんな小田原遊郭の成り立ちをざっくりと見てきたのだが、いかせん赤線廃止から60年ほど経過し。現代はその遺構はほとんど失われていると言っても過言ではない。そんな味気ない住宅地になりつつある小田原遊郭の面影を探して行きましょうか。
「大門通り」
こちらが小田原遊郭のメインストリートの大門通りだ。前回スーパーマーケット西友とかあったところだ。
「韓国家庭料理 百済」
大門通りの入り口にはかつて「煙草屋(たばこや)」があったんですけど、現在ここは朝鮮料理の店になっている。戦後どさくさの時期かなんかにイカれたんでしょうかね。ほら、戦後はアチャラの人間による不法占拠とか多かったって聞くし。
そんな朝鮮料理店の壁面には太極旗のデザインがモノグラムのように散りばめられている。その壁面には山本太郎のれいわ新撰組のポスターが。朝鮮&山本太郎。あとはお察しください。
それにしてもここまで朝鮮推しだったら、小田原遊郭の将来が気がかりになる。いくら軍相手に真っ当に商売をしていた遊郭だったとか行っても、強制連行=日本軍=小田原遊郭とか勝手にすり替わって、近い将来ここで働いていた娼妓が半島から連れてこられて来たニダ!とかなりませんよね?
「西友小田原店」
老婆心ながらそんな心配を胸に、次をみていこう。今は西友のこの場所だが当時は「玉城楼」「よか楼」と言う大きな妓楼だったのだと言う。
「SHANGRILA ODAWARA」
ちなみに前回紹介したマンションは「いろは楼」だったらしい。
「宮町コーポ」
現在は都会の一般的な日常風景が広がる小田原遊郭だが、西友の北側ももマンションになっており、当時は「昌南楼」「東仙楼」「宝来楼」という妓楼があったのだと言うが面影は完膚なきまで潰されている。
建て替わったマンションですら既にこのザマだったりするんでかなり時代が経った事を気づかされる。
「(株)東洋環境開発」
さらに北上し大門通りの中間ぐらいまできた。その一角にはこれは遊郭の雰囲気のするところを発見。現在は簡単な事務所の建っている事業所のようなのだが、門構えや塀がそれっぽい雰囲気だ。
塀には少し艶っぽい加飾がされ、松なんかも植えられているところから遊郭の跡なんかじゃ無いかって勝手に想像してしまう。当時は「昌南楼」だったとか。
塀はこんなRがあるんですが、途中で分断され駐車場になっていました。塀の新しさから近年の物なのだろうが、当時の雰囲気を感じるには十分すぎる。
「亀谷商店」
小田原遊郭の一番ど真ん中の十字路には、亀谷商店という煙草屋みたいな店があるのだが、実はこの亀谷商店当時の遊郭地図にも「亀屋」との記載がある。偶然に屋号が“亀”と被ったわけでも無いだろう。これは面影を探すという意味では十分な証拠では無いだろうか。
さて、まだまだ小田原遊郭の半分も見ていない。次回も見て行きますよ。
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(2020)