【隈なく】軍都仙台!「小田原遊郭」の面影を探し当てる!【散策】(3)

全国裏探訪取材班は、仙台市の遊里「小田原遊郭」の面影を探しに界隈を散策している。前回は大門通りと言われていたメインストリートを北上しながら見てきたので、今回はその続きを見て行きましょうかね。

現在は遊郭だったなんていくことは、ここに住む住人でも全く知らないかもしれないぐらい遺構を残さない小田原遊郭なのだが、今でも半世紀以上建っていそうな古いアパートなどがチラホラあったりもする。

「コーポラスあさかや」

遺構をを探しにくい小田原遊郭だが、うろうろしながら見ていくしか無い。ちなみにこの大門通り一番北側のこのマンションはかつて「安積楼」だったという。

大門通り北端のコーポラスあさかやのある場所から、さらに北に行くと道がS字に曲がっておりその場所には遊郭時代は「駆微院」という病院があったようだ。

現在その周辺はプアマンアパートや生活困難者向けのNPO法人があったりいろいろ生活は楽じゃなさそう。元々病院なんてところはネガティブだもんな。

「青葉区 小田原六丁目 7」

「旅籠町公園」

取材班は次に大門通りから西側に当たるエリアを見て行きますよ。1ブロック西側に行くと旅籠町公園という公園がある。この公園の名前にも注目してほしい。実は遊郭が廃止されてからは、それらの物件を利用して次々と旅館業に転業していったらしい。まぁよくあるパターンですわな。

「「いけないよ!」 言える友情大切に」

至って平凡な標語看板なのだが、この場所で見るといろいろ考えさせられる。売春はかつて合法だった。でも今は“いけない”ことだ。いけないことなんで負の遺産を消し去ってしまって、ほぼ跡形がないのが現在の小田原遊郭跡だ。もう少し大事にすればいいのにな。ちなみに公園の場所は「繁安積楼」だったという。

そんな旅籠町公園の西側を見ると、なにやら蔵がある。これはもしやと思って古地図を見るとそこには「質屋」と記載されていた。やはりここは遊郭なので遊ぶ金を工面するために質屋も必要だったんだろうな。と想像を膨らませるのが一般的か。現在は質屋の看板は出ていない。

 

さて参考までに1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内からこの小田原遊郭の記載内容を紹介しよう。「仙臺市小田原遊廓 (略) 現在貸座敷は三十三軒あつて、娼妓は三百人居るが皆近縣の者計りである。店は陰店を張つて居て、娼妓は全部居稼ぎ制で送込みはやらない。時間制で廻しを取つている。(続)」

「(続)費用は家の格式に依つて値が違う。一等格の家は一時間二圓六十銭、二等格は二圓十銭、三等格は一圓五十銭であるが、二時間目からは、三時間遊んで最初の一時間と同値丈を増して行く習慣である。(続)」

「(続)言葉を代えて言ふと、四時間遊んで二時間遊んだと同じ勘定になる譯だ。斯して二時間目からは、三時間目毎に最初の一時間分宛の勘定が増えて行く事に成る。例へ一時間遊びでも臺の物さへ通せば本部屋へ無料で入れる規定にな成つて居る。税は二圓以上一割(続)」

なるほど。かなり詳細に当時の値段が書かれている。さて、次回も散策を続けますよ。

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(2020)