全国裏探訪取材班は、炭鉱の町大牟田の繁華街を取材しているわけだが、この中心はタイトルにもある「大正町」を中心としたエリアだ。今回紹介するエリアで他の町名も上げると大正町の他に、古町、橋口町、本町、中島町、栄町、新栄町。ざっくりこの辺の街を紹介していこうと思う。前ページのビジネス旅館などは古町となる。
ここからは本町周辺となる。
「小料理 ひととき」
ひとときのはずが、かなりの年月が経ってしまい、例に漏れず看板がふにゃふにゃに焼けているw
「クラブ ときわ」
「募集 カウンター 女性 クラブコンパニオン (明朗で健康な女性求む)連絡先 クラブ ときわ 夜54-4065・昼(井出)52-3903」
“明朗で健康”と純粋な日本語で募集をかけている。容姿などは触れられていないので、我こそはとノリさえあれば誰でも採用されそう。いい時代の痕跡が残ってるな(笑)
ときはの隣には飲み屋ビル「YANO.B.L」
このビルオーナー株式会社矢野エンタープライズはここ大牟田の地場で手広く貸しビル業をしている会社らしい。そこら中にこの名前があったな。
矢野ビルの前には銭湯の跡もある。なるほど炭鉱マンはココで煤を払って、夜の街に繰り出すわけですな。ま、その炭鉱マンも居なくなってしまったわけで、ダメになったか・・
今にも暖簾が掛けられ営業が開始されそうだ。
横丁の片側がなくなりかつての狭い小道が解剖され、ダヴィンチ並みに横丁の断面図が分かりますね。
「穂高」
おそらく・・「まるせん」2階の窓が渋すぎる・・
「KARAOKE ニューヨーク40」
今では珍しくなってしまった小資本のカラオケ屋。ここぐらいから、大正町となる。歌い放題100円などという企画もやっている。厳しそうだな~外観も痺れるな~
「GINAZA」
ここは“銀座通商店街”という比較的新しい商店街だ。ま、“銀ブラ”は後でしようとするか。。ちなみに左手前の駐車場には大牟田の地場百貨店「大牟田松屋」があった。
「大牟田松屋跡」
もともとツシロ呉服店として開店準備が整えられ、1937年(昭和12年)10月に開業。1945年(昭和20年)の大牟田空襲で被災したものの建物は生き残り三池炭鉱の復活と共に復興。7階建ての鉄筋コンクリート造りで7階屋上の遊園地や6階の食堂など、絵にかいたような昭和のデパートだったが、こちらも例に漏れず人口減少によって2002年(平成14年)民事再生法の適用を申請、一時期は「市民百貨店」としての再建をスタートするが2004年(平成16年)閉店。2009年(平成21年)に解体された。ああ、残念。
「ドリームビル」
繁華街の中央を突っ切りる国道のような県道18号線沿いには黄色でペイントされたビルがある。一見マンションのようだがこれも飲み屋ビル。
次回はこの大通り県道18号線の向こうの繁華街をお伝えしよう。
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(2018)