【典型的な】周南市徳山の「柳町遊郭」を一周する。【赤線地帯】(2)

全国裏探訪取材班は、山口県のコンビナートの町。徳山に来ているのだがこの記事にあるように、近代化海軍の燃料廠があったいわゆる軍都だったわけだ。軍都。と言うと夜の“営倉”も必要だったわけで、遊郭があることは容易に想像がつく。

そんな軍靴の足音が聞こえる前栄町(才ノ森遊郭)だが、徳山空襲(第三海軍燃料廠空襲)で完膚なきまで破壊された。その後この柳町にて復活。

「柳町」

ちなみにここ、今でこそ柳町なのだが、元は“下御弓町”と言われていた。なるほど。色町風に後年改名したわけか。

「Stand 終着駅」

そういやここに終着駅っていうスタンドがあったが、下関駅でもないのに終着駅って・・なんだそりゃ・・と思っていると、実は徳山は終着駅の時代がありました。時代は遡り1897年(明治30年)9月に山陽鉄道(現山陽本線)は広島駅から徳山駅までが開業。それ以前は広島駅までしか開業していなかった。なるほど、終着駅と言うネーミングはあながち間違っていないわけだ。

お、そうこうしていると、現役時代からありそうな妓楼を発見。これは立派だな。

あくまで、この地に移る前の才ノ森遊郭時代の話だが、娼妓の数は百人余りだったという。そんな数字もこの妓楼とこの辺の赤線スナックの密度を見ると頷けるな。

この妓楼は、もうすでに商いはしていないのだが、敷地内を少し覗くと「スナック あか ピーマン」なる看板を発見。しっかり営業していたんだな。その前に置いてある一輪車。乗っていた少年少女は今いくつなのだろうか。それも気になる、

でも不思議と人が住んでいる雰囲気はしないんですよね。保存状態が良い建物だけにもったいない気もするんだけどな。

この2階から女が下を見ていたのだろうか。そんな雰囲気を想像させるくらいの説得力は十分だ。柵のデザインもいいね。

 

西側全景。北側(奥)は客間が続き、南側(手前)は炊事調理場などがあるようだ。手前部分1階、近代化改装された形跡もあるな。

別にこんな妓楼もあったり。結構残ってんな。見ごたえ充分だ。ここまで残っていると思わず小躍りしたくなる。

これが1階南側の窓。まだ結構しっかりしている。

地味にまだあるので、次回も続きをお伝えしていこう。今日は眠いのでここまで。

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(2019)