全国裏探訪取材班は、タレコミを頂戴し室蘭の調査に乗り出している。今回は「室蘭遊郭」こと「幕西遊郭」についてお伝えしていきたい。
幕西遊郭はこのように坂にへばり付くように展開されている遊郭だったわけですけど、現在はソ-プランドとかあるわけでもなく、フツーに住宅街なんですけど、1棟に玄関が複数あったり意味深な物件もあったりな買ったり。
タレコミによれば、現在はソッチ系の店はなく住宅街だが、売防法が施行された後も男たちが夜な夜な集まっていたのだそう。
路地は魚の骨のように、大通りの幕西坂から直角に伸びており、どの路地も斜面に向かう構造のためそんなに長いわけではない。こっちは階段だけで何もないか、、
「幕西公園」
で、こっちは階段を上がると公園か。日曜の昼というのに誰もいないな。
ちなみにこの幕西遊郭は1930年(昭和5年)発刊の遊郭探訪のバイブル全国遊郭案内にも掲載されている。
「室蘭市遊廓は室蘭市幕西町に在つて、室蘭線室蘭騨から西へ約六丁の個慮に在る。室蘭は噴火湾の東端に突出た腰部に在る要港で、人口は約五薦の都市である。(続)」現在でも室蘭の人口は8万人ほどだが、当時から人口5万もいたのか。
「騨は日本一の大騨として有名だ、室蘭市の生命は、日本製鋼所にあると云はれて居る。其れ程の大規模でなり、又其れ程の大量製産があるのだ。(続)」
「室蘭の製鉄工場」
室蘭は天然の良港を擁し、明治期から鉄鋼業が盛んだった。もちろん当時の工場労働者は荒くれ者も多く、当時の鉄鋼業の稼ぎも良かったことから遊客も多かったのだと言う。
「貸座敷は目下十六軒あつて、娼妓は九十五人居る。北海道の女が多い。店は寫眞店で娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は甲四圓、乙は三圓で各薹の物が附いて来る。甲は本部屋である。何れも一泊が可能だ。(続)」
妓樓は、第一長榮樓、昭和樓、菊本樓、恵比壽樓、蛇ノ目樓、富山樓、清明労働者、多留喜久樓、榮太樓、清花樓、いろは樓、第三長榮樓、藝備樓、菊榮樓、清明棲、手留喜久棲、榮太樓、清川棲、明治樓等である。附近には登別温泉、洞爺湖温泉等がある。」
室蘭市旧市街が坂道の向こうに見えるだろうか。この写真から市街地と幕西遊郭の位置関係は少しわかりますかね、、
全国遊郭案内によれば、これほど多く妓楼が存在した割には残念ながら現在残存妓楼はゼロ・・と言うことなのだが、タレコミ主によれば、じつはまだ残っている妓楼とか貸し座敷的なものが残っているらしい。
次回、そこんとこ見に行ってみましょうかね。
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(2021)