【室蘭遊郭】「親なるもの断崖」で有名な「幕西遊郭」【の現在は?】(1)

全国裏探訪取材班は、タレコミを頂戴し室蘭の調査に乗り出している。「地元室蘭を紹介していただけませんか」との依頼で前回は室蘭の悲惨な出来事である「室蘭艦砲射撃」について取り上げてきた。いささか裏探訪的視線で見てみると正直暗い歴史しかないんですけど、今回は明るい話題。では当然なく「室蘭遊郭」についてお伝えしていきたい。

「室蘭遊郭」

室蘭遊郭というのは、別名幕西(まくにし)遊郭とも呼ばれており、室蘭の測量山の東麓にある遊郭だった。当時からそれほど大きな規模ではなく、10−20軒の妓楼が立ち並んでいたのだという。

「北電幕西幹」

現在でも現地の電信柱には幕西の文字が残っているのはもちろんのこと、住所においても、北海道室蘭市幕西町という住所が現在でも使われている。

幕西町は室蘭市街地の西の外れにあり、北海道あるあるですが、幕西の語源はアイヌ語の”マクン・ニウシ”と呼ばれておりそれがマクン=幕・ニウシ=西という変換がなされ現在の地名になったようだ。

「いずみ荘」

幕西遊郭の発祥は1895年(明治28年)北海道庁の告示により遊郭地区に指定。当時市街地郊外だったこの地区が指定された。

この幕西遊郭の特徴でもあるこの坂は、通称幕西坂と呼ばれている。この坂は北海道の道路工事に従事した数千人の男たちが常にこの場所に通い、殴り合いのけんかが絶えない風紀上好ましくない場所だったようだ。そのためこの、幕西坂は〝人殺し坂〞と呼ばれていたのだという。

「幕西町会掲示板」

現在でも現場の町内掲示板には「ドロボー注意!」や「探しています」、「甘い話があなたを狙う」、「犯罪被害者週間」・・などの文字が書かれているのは気のせいかもしれないが一抹の不安が過ぎる。

 

そんな風紀の乱れた幕西地区だが、明治28年の北海道の遊郭設置告示前にはすでに、非公認の女郎屋ができてきていたのだという。

感度の高い読者なら感じるかもしれないが、現在は住宅街になっているのだが、どこか暗いムードが写真からつたわてくるのではないだろうか。

基本的には住宅街なのだが、少し路地を入るとオンボロのアパートや、生活保護者が住んでいそうな安普請の物件がちらほらあったりもする。北海道の極寒の環境にこの断熱もされていないような物件だった正直生活は楽じゃないんでしょうか。

「幕西会館」

 

幕西遊郭は結局、1895年(明治28年)の正式な設置から、戦後の1957年(昭和32年)まで続くことになった。

当時は坂の両隣に遊郭が連なっていたらしい。

次回はこの「室蘭遊郭」こと「幕西遊郭」をもう少しじっくり見ていきましょうかね。

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(2021)