全国裏探訪取材班は、岡山県笠岡市にある「伏越遊郭」跡を裏探訪している。今回は残る部分を総ざらいしていきたいと思う。せっかくなんで最後までどうぞ。
「伏越」
地名にはすでに伏越とは残らない同地だが、国道2号線にはこのように交差点名としても残っている。
〈国土地理院〉
ところで、この画像は1961年(昭和36年)の伏越遊郭の航空写真だ。この写真ではこのころすでに国道2号線は整備されているようだ。ちなみに国道2号線が“自動車が通行できる”ように貫通したのはこの直後の1958年(昭和33年)の事だった。
完全に同じ画角では無いので申し訳ないが、売防法施行は1956年(昭和31年)なので国土地理院の写真は遊郭の直後の写真だ。遊郭内の町割りは空き地化していること以外は、今とほとんど変わらないようにも見える。よく見ると前述した転業旅館や中庭とかある現存の部分は屋根の形などはほぼ同じに見える。
遊郭の入り口は不自然に三角形に敷地があったりもする。全国遊廓案内の「乗合自動車の便があつて、伏越停車場で下車すれば」の停留所とうのはここなんですかね。この地を守る地蔵なんかもあるようですし。
「五代目浅野組」
そしてこちらは、伏越遊郭の真横にある五代目浅野組の本部事務所。堂々2号線沿いにあるのはなかなかの威容でもある。20センチほどシャッターが開いているのはすぐに組員が出動させるためなのだろうか。
本部の出入口は2号線側、そして裏にあるであろう勝手口は遊郭の小川の方に面している。この極道は昭和20年(1945年)頃に創始者大山国男が笠岡市に結成した「大山一家」起源とする。その後、昭和27年(1952年)大山一家が解散するとその幹部でだった浅野眞一が新たに浅野組を結成した。現在に至るまでここを本拠地に浅野組は山陽の名門極道として独立を維持している。現体制は中岡豊総裁、重政宜弘組長が就任している。
「伏越会館」
やはり、いろいろな遊郭跡を探訪してきたが、近代の遊郭には極道は付き物なんですよね。用心棒って言うか、自警組織と言うか当時はそんな側面もあったんでしょうか。
取材班は2号線から再度伏越遊郭方面にすすんでいく。ここには何やら井戸があり石碑もあるんですけど、これは一体何を表しているのだろうか。
「昭時碑」と読むのだろうか。誰か詳しい読者がいればご教示願いたい。
そして伏越遊郭も最後になるのだが、最後はこの物件。2階建てのオンボロ長屋が中庭で連携されているもの。これも国土地理院の当時の地図でかすかに確認できる。
上から見るとこのような感じ。一見棟の接続部も屋根があり中庭は無いようにも見えるが中庭から大きな木が生えている。
これも当時はソッチ系の商売を行っていたのか。それとも構造的にアパートにも見えなくはない。現在は家主は住んでいないようで行政より崩壊危険の看板が建てられていた。
北には山陽本線、西には古城山、東と南に小川に囲まれた小さな遊郭「伏越遊郭」はいかがだっただろうか。
かつて栄華を誇った笠岡の遊郭も、時代の流れから転落し見る影を失いつつある。完全に消失する前に早めの探訪をお勧めする。
#B級スポット #カフェー #ズタボロ #バラック #マニアック #モダニズム #ヤクザ #レトロ #廃墟 #放置プレイ #歴史 #現存せず #神社仏閣 #空撮 #路地裏 #遊郭 #鉄道
(2021)