全国裏探訪取材班は、長崎県東彼杵郡川棚町にきている。ここにはかつて「片島魚雷発射試験場」があり、現在その観測所を訪れている。観測所は大村湾一体が見渡せ、軍事監視施設としても有能な地形であった。
観測所を下ると、何か鳥居のようなもの見えてきた。社殿が見当たらない。一体どこに行ったのだろうか。
どうやら社殿は移消えてしまったようだ。魚雷発射試験の成功を祈願をする神社だったそう。存在意義を失った神は既にこの場から去っていった。消滅集落や限界集落でも同じことが言えるが、所詮神様とは言えども、メンテナンスをしているのは人間であり、拠り所としているのは人間であることには変わりはない。その人間がいないのだからまあ消えてもおかしくはない。いや、それか神道大っ嫌いの朝鮮人に潰されたかw
第二次世界大戦末期、軍事主義で一色だった日本はこういった神社に軍神をかかげて「一億玉砕」と謳い戦争のムードを形成していった。そしてココ片島魚雷発射試験場も例外ではない。
これはここのトイレに掲示している片島魚雷発射試験場で実際に取り扱った魚雷一覧である。熱心な読者でもうお気づきの方はいるだろうか。そう実は昭和10年と昭和19年から取り扱っている「九三式一型」「九三式三型」「九五式二型」はあの有名な「酸素魚雷」。前回のページでもお伝えしているかと思うが、この魚雷は簡単に運用できるものではなかったし、当時は実戦運用できていたのは日本だけあった。
そういった性質から、実際の成績は10ノット低い数値で試験結果が報告されていた。そして悲しい現実ではあるが、歴史に詳しい読者であれば察していただいたかもしれないが、そう、この「九三式酸素魚雷」は、特攻兵器として後に活躍した「回天」と同じモデルである。もし回天について気になる方はこちらへどうぞ。
特攻兵器は優れた能力であるが故に選定された機体も多く存在する。回天は酸素魚雷を改造したものであるため、秘匿性に優れ、雷速と火力には優れていたようだ。しかしこの選択が悲しい悲劇を生むことは言うまでものない。もちろん回天用の魚雷はその目的から確実に目標を撃沈させるべく、人間魚雷としての性質に全振りしていくのだが・・・
特に93式酸素魚雷の実際の雷速は52ノット(96km/h)で射程距離22kmと当時の各国の魚雷と比較しても全く引けを取らないレベルで、しかも人間が操縦して完全に捕捉してくる狂気の兵器でもあった。だから極秘の兵器試験場は必要なのである。
非常に興味深いものを見つけた。レンガ作りのおしゃれなこの建物はなんだろうか。恐らく大正あたりに作られた建物だろうか。
そう、これは当時のトイレである。説明書きなど一切載っていない。もちろん今みたいに水栓で流せるわけではないので、もちろん汲取式。開口部が大きすぎ、転落や臭いの問題が残るのでこのままは使用しておらず、何か蓋をしていたに違いない。
ちなみに裏側は一定量貯まると自動的にこちらに流れてくる仕組みのようで、下水の排水溝のようになっていた。定期的に誰かが汲み取っていたのだろう。当時は人糞は貴重な肥料であったし、こちら側は玄関に近いところかつ、周りに広いスペースが設けられてた。
いかがだっただろうか。今となっては市民の憩いの場として開放されているが、当時1900年初頭頃から第二次世界大戦終了まで魚雷一つにおいてもしのぎを削る競い合いがあったのは事実である。最終的には極度の物資不足、強烈な資源大国に敗戦した日本。
我々は良きも悪きもこのような歴史の事実積み上げの上に存在していることを忘れてはならない。賛否両論あり、考え方も時代と共に変わってしまうのは世の常であるが、事実は変わらない。この経験をどう生かすかは読者に委ねたいところだが。
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(2021)