【民家】甲府市丸の内「暗渠バラック」を現場検証!【崩壊】(1)

全国裏探訪取材班は、山梨甲府在住の読者と別のもう1人の熱心な読者よりタレコミをいただいたので今回もレポしていこうと思っている。まあ、タレコミをもらったのは少し前の話ですけどなかなか山梨県に行くことが少なくて、、とりあえず今回もDEEPなスポットなんでみて行きましょうかね。

「甲府市内」

取材班が甲府を訪れるのはもう10年ぶりくらいだろうか。この辺はこんな綺麗じゃなかった気がするんですけど、かなりビルが増えてるな。

「市役所前交差点」

今回の場所は甲府市役所前交差点の山梨県でも、地価が最高だ思われるスポットだ。本当にこんなところにDEEPなスポットがあるのか、、

って思ったら、市役所前交差点から徒歩0分でありましたよ。タレコミのスポットがw

「電化ビル」

一応訪問者の為にあらかたの場所を記しておきましょうか。住所で言えば山梨県甲府市丸の内2丁目30辺り。わかりやすいオブジェクトで言えば電化ビルの裏?と言う感じか。

電化ビルの横は何故か立ち入り禁止の帯が貼られているんですけど、何か事故物件らしい佇まいだ。

で、まずは全体の把握のために真俯瞰での空撮を掲載しよう。実はこのあたりは甲府の官公庁やオフィス街なんですけど、それをすり抜けるように暗渠化された小川が流れている。写真左下に少し小川が流れておりその上にオンボロの家屋があるのがおわかりいただけるだろうか。わかりやすいよう、暗渠部分を青色で記している。

この場所は甲府市内でも中心的スポットで大東亜戦争(太平洋戦争)中は空襲により米軍から虐殺を受けた場所だった。地元の人の話によると雑草すらも焼き払われた焼け焦げた場所だった。

 

甲府空襲は大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)7月6日から7日にかけて行われた。山梨県は富士山もありマリアナ諸島から飛び立つ米軍の爆撃機は富士山を目指して飛行しており、甲府市民は通過する爆撃機を見慣れており「甲府は空襲はない。」と、たかを括っていた矢先の空襲だったのだと言う。

甲府空襲ではB-29131機による大規模空襲を受け、死者740名、行方不明者35名、被害戸数18,094戸を記録し甲府市は灰燼に帰した。それが、一転戦後は復興のためこのようなバラックが多く建てられ、闇市的なものも多くあったらしい。

戦後ドサクサ期のオンボロの物件は高度経済成長期に徐々に姿を消し開発されてバラックやオンボロ物件は無くなって行った。

しかし、この暗渠化された小川の上はしっかりとした所有者はおらず次第に周囲の開発から取り残されていくことになった。

 

ほらほら、この写真なんかも駐車場の裏は本来小川なんですけど、その川の上にズタボロの物件が立ち並んでいるのがお分かりいただけると思う。

「濁川」

この川の名称は濁川と言うらしく、戦後復興期に多くが地下暗渠化された。次回はこの濁川の状況をみていきましょうかね。

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(2021)