全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。当時ここには山ヶ野金山があったのだが、限界集落ということもあり寂れていた。当時この辺りで遊んでいたという住人にいよいよ金山を案内してもらうことになった。
取材班は軽トラックの後ろに乗せてもらうことになった。御年87歳らしいが、狭い悪路にもかかわらず華麗なハンドリングで案内してくれる。
石垣からわかるようにこの辺りも当時鉱夫がたくさん住んでいた住居跡らしい。150年以上経つらしいが、適度に水をはく為崩れたことがないとのこと。
段々険しくなっていくが、老人にはお構いなし。今山に上がっていっているが、やはり廃墟が目立つ。もうここの土地の人間は早くに死亡し、現在ご子息も行方不明とのこと。こうして自然に還っていく。
左側に続く道は以前鉱山に続く道だが、流れがわからなければ、完全にただの山の中である。この辺りに施設跡があるという。
「谷頭精錬所跡」
どうやらここは谷頭精錬所というところだったようだ。明治10年にフランスの鉱山技師ポール・オジェを招き、蒸気機関を使った精錬所を作った。今でこそ昼夜の稼働はまともにできるが、まだ電気もまともに普及していないような時代にそのような勤務形態や精錬所の稼働はこの環境では馴染まなかっただろうな。また解体も爆破で周りの家を消失とは・・・もはやこの集落では大事件である。
「自稼掘り坑跡」
ふと振り返ると自稼掘り坑があった。これは鉱山採掘権を得て掘った金を鉱業主に売っていた、言わばフリーランスのような形態で掘った穴らしい。これは分かっているが当時から金が価値があった証拠であるが、老人曰くこんな穴が無数にあるらしい。
中を覗いてみたが、大人一人が中腰で入れる程度である。以外にも崩落などしておらず、綺麗に残っているが、コウモリや蚊、ドブネズミなどの格好の住処らしく、衛生状態が極めて悪い為今回入るのは遠慮しておく。
引き続き山の中を進んでいくと、大きな鉱山の入り口を案内してくれるというので、車から降り、案内してもらうと、ご覧の通りいくつもの竹が我々の行く手を阻む。奥を見てお分かりいただけるだろうか。何本もずっと倒れている竹を超えて歩いていかなければならない。
竹林を超えて、森の中に出たがもはやどこに何があるかわからないくらい道もなければ、案内版もない。この老人が便りである。本当に我々取材を暖かく迎え入れてくれたことを感謝したい。
10分ほど歩くと、うっすら石垣が出現し、今度は大きな坑口が姿を現した。老人いわく、ここは友達とよく遊んだそうで、目を瞑っても行けるほど道を覚えているらしい。さすがだな。ここは明治より以前から存在する「火入れ坑」というそうだ。
名の通り、硬い岩盤を火を使ってもろくして掘っていたようである。安全上の観点や効率の観点からしても今では考えられない方法で掘っていたようだ。前回山の坑道の地図をお見せしたが、この坑道にほとんど通じているらしい。金の採掘もここが盛んだったそう。次回は、坑口から廃集落に迫っていきます。
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(2020)