【黄金の国】「山ヶ野金山」は思いのほか広かった!【ジパング】(6)

全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。薩摩藩島津の直轄の山ヶ野金山を訪ねている。やっとの思いで村人に遭遇し、当時の貴重な資料を展示している集会所を案内してもらっている。当時はどんな環境だったのか。少しずつ紐解いていく。

先程の地図をよく見ると・・・なるほど、これが昔のゼンリンの地図といったところか。田舎によくある話だが、同じ名字がたくさん存在する。中心よりちょっと上の部分は先程のえびす堂があった交差点のようだ。ここにもはっきり遊郭の跡と書かれている。当時はまだ農地として使用しておらず、残っていたんだろうか。また先程の墓場は「護念寺」というお寺があったことも判明。

「池田清志」

なるほど、この地盤にも官僚&議員がいたわけだ。ちなみに弁護士でもあり、衆議院議員でもあり、教師、官僚、知事もやった公務員の美味しいとこ取りのおじさんのようだ。

「昭和38年頃 全景」

なるほど、これは昭和38年頃の写真らしい。昭和40年つまり1965年閉山なので、末期ではあるものの、住宅の密度からても賑わいを見せていたようである。恐らく遊郭も右下あたりだろうか。はっきり残っている。

今ではめっきり絵葉書の類は減ってしまったのだが、当時は「株式会社山ヶ野鉱業所」から絵葉書が出ていたようだ。今の時代の人の感覚からすると驚きをを隠せないが、当時ハイテクノロジーな機械を使って金を選別していたようだ。素晴らしい。

「千石抗口」

これは千石抗口の写真である。明治頃だろうか。トロッコのレールのようなものが見える。掘削して選別しなければならないので、トロッコみたいなものがないと確かに効率はよくないだろうな。当時はこういった穴が金山には無数にあった。

「山ケ野金山坑道略図(明治40年以降)」

これを見ていただきたい。「国見岳」を中心にガンガン掘っていっていたのである。まあ、300年程度掘られていたわけだから、もう穴だらけにはなるのは察しがつくが、この山からおよそ28.4トンの金が採掘された。しかしその金は一体どこ行ったのやら。

あらあら、左下にやっぱ先程の議員さんいらっしゃいますね。熱心な読者はもうお気づきだろうが、鉱山には必ずといっていいものの利権が存在している。現代で有名なのはあの福岡県は筑豊のボンボン議員。詳しくはここを参考にされたし。

ちなみにこの金山では化石も取れるらしいが、研究は進んでいないようだ。つまり、この山は太古は隆起してできたか地殻変動が起こったか。保存状態が悪かったのか、誰かが落としたのかわからないが、ボロボロになっていた。ここは金山の歴史に文化に体験に、化石と天然資源だけでも新しい観光資源として有用だと思うが活用できていないのは残念。

 

実際に採掘された石であるが、この中に金が埋まっているらしい。「300年以上の間、この石の中にたくさんのドラマが詰まっていた」そう老人話す。

「わしの小さい頃はこの辺でよう遊びよったのう・・・金山の入り口は規制もされておらず、地図にないがこのあたりで従兄弟とよう入りよった」とそう話してくれた。話が盛り上がると、その方は取材班をその遊び場を案内してくれるようだ。次回いよいよ、隠された金山の暴きます。お楽しみに!!

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(2020)