【真四角の】魚津埋没林の隣「旭新地」と呼ばれた魚津遊郭を訪ねる。【遊里】(4)

全国裏探訪取材班は、富山県魚津市の「旭新地」こと「魚津遊郭」に来ているのだ今回も界隈の物件を見て行きましょうかね。前回の続きを見て行こう。

前回からお伝えしているように、この魚津遊郭は田の字型をしており周囲の路地は基本普通自動車は通行できない程狭い路地になっている。

そして、その外周部分に小さな小川(と言っても場所によっては側溝レベル)で結界を張っている。

<Googleから>

こちらが真上から見た航空写真だ。確かに田の字型の外周部に小川が流れているのがお分かりいただけるだろうか。

<国土地理院から>

そして、この図は1974年(昭和49年)の航空写真だ。売防法の施行が1957年(昭和32年)なんでこの時は既に遊郭ではなくなっていると思われる。ちなみに北側の工場は日本カーバイド工業という工場で、当時は引き込み線とかもあったりした。

<国土地理院から>

そしてこちらが現在の魚津遊郭の航空写真。縄張りの中の建物が少し減っているのが分かる。実地を見てもスクラップアンドビルドをされてるのだが、当時はもっと残って居たんでしょうね。で、北側の日本カーバイド工業は現在工場が佐野市や平塚市に移転したりとかして現在は結構過疎ってますね。

魚津遊郭の北側から日本カーバイド工業の敷地を見るとこんな感じで壁が立ちはだかっているんですけど、建物共々ズタボロだなぁw

北側の路地裏からメインの大通りを見る。こんな感じで嘗て妓楼があったと思しき空間がそっくりそのまま無くなっている。まぁ歯抜けになるのはさみしいですけど、こんな風に断面を見れるのはおもしろかったりもしますよね。

ここなんかも。味があっていいな。恐らくこの窓から複数の煙突から煙が出ている日本カーバイドの工場地帯が見えたに違いな。遊女で居るか、それとも女工になるか。

 

「裏口・勝手口」

ちょっと訳のある男は、この路地裏から登楼できるな。夜な夜なコソコソと。工場の職工も利用してただろうし、上役の工場長なんかは闇に紛れ勝手口から出入りなんてしていたのか。

全国遊郭案内の魚津町新地廓にはこのように記述がある。「魚津は、滑川、水橋、生地の海岸にかけて、四月から六月迄の間に海上へ世界的に不思議な蜃気楼が現はれるので有名だ。(続)」

「珍らしい螢いかの産地としても広く世に知らている。遊廓は数十年間、馬場と、鴨川との二個處に在つたが、大正三年四月に合併して現在の個處に移轉したものである。(続)」

 

なるほど、この1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内の記述と神社に書かれた由来が一致しているな。どちらにせよ大正時代に建てれたんでもう100年以上前の話か。

ここなんかも構造的に中庭がありそうなんでよね。ほら今でも紅葉が赤く色づいてるでしょ?なかなか風流な所だな。さて次回は「旭新地」こと「魚津遊郭」の最終話。良ければ最後までお付き合いください。

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(2020)