【津山事件】「加茂町倉見」の「都井睦雄」の墓参りに行く。【のルーツ】(1)

全国裏探訪取材班は、先日「【二ホン人の闇】三十人殺しの「津山事件」の「貝尾集落」を訪ねる【は今も続く】」という事で、八墓村で有名な津山三十人殺しの現場を見てきたんですけど、今回はその首謀者「都井睦雄」の墓を見に行ってそのついでに墓参りに行こうかと思っている。

「貝尾集落」

前回裏探訪取材班がレポをした岡山県津山市加茂町行重の貝尾集落。ここの集落でで昔々集落約30人が惨殺された現場だ。

「昭和十三年五月二十一日」

貝尾集落にある住人の墓石には、事件当日の昭和13年(1938年)5月21日の文字が今でも刻まれている。しかも、大量に惨殺された事件なので、墓には同じ5月21日の文字が並んでいる奇妙な光景が見てとれる。

そして、大量殺戮を実行した都井睦雄は津山市街に抜ける荒坂峠の山頂付近「仙の城」という場所で殺戮に使った銃で自決した。

で今回取材班は、事件現場の貝尾集落から県道336号線を北上。大体自動車で30分ぐらいの所にある、岡山県津山市加茂町倉見と言う所を目指す。

「黒木ダム」

この道中には黒木ダムなどがあったり、正直言ってかなり暗然なる雰囲気だ。そんな暗い道をひたすら北上・・

「倉見集落」

こちらが倉見集落だ。この津山市加茂町倉見は都井睦雄の生家があるところで、都井家の本家がある場所だ。都井睦雄は事件のあった加茂町「貝尾」に移る前はこの「倉見」で育った。

どうして睦雄が貝尾に移ったのだろうか。それは睦雄の祖母が貝尾の生まれで、倉見の都井家に嫁入りしたからだという。そして、睦雄が幼少の時に両親が相次いで結核で亡くなったから貝尾に移った。

元々、祖母は貝尾出身だったので親類縁者も多かったのだが、いかせん30人も惨殺した貝尾に睦雄の墓を建立し弔えるはずもなく、倉見の都井家の人たちが生まれ故郷に引き取って、都井家の墓の至近に埋葬したのだそうだ。

 

「倉見」集落に到着した取材班は、ここら辺の道路沿いに都井睦雄の墓がある様なんで、早速探索していくことにする。さてどこなんでしょうかね。

さっそく、道中の道の右側には墓が並んでいるのが確認できる。これは近年できたりっぱな墓なので違うっぽいな。

〔35°14’52.9″N 134°02’22.5″E〕

ちなみに取材班が地元住民に聞き取った所、この座標の所にある空き地が元々都井睦雄が生まれた生家があった所なのだという。まぁ今行っても大したオブジェクトがあるわけではないので参考までに。

さて、倉見集落を探索していると、また別の墓を発見した事前情報にも照らし合わせると、ココがどうやら都井睦雄の墓っぽい。

さて次回はいよいよ、都井睦雄の墓へ墓参りに行きましょうかね。一体どんな墓なのだろうか。

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(2020)