【秋田の】懐かしの「木内百貨店」はコロナで閉店するのか再開するのか!?【名門】(3)

全国裏探訪取材班は、年配の秋田県民のステータスだった「木内百貨店」に来ている。木内デパートは只今臨時休業中が続いているのだが、取材班そんな県民の百貨店はかつてどのような過去があるのか、当時を知る秋田県民S氏に想い出を語っていただいた。

「木内」

現在は閉店中の為、シャッターが閉まっているが、今年初めまではこのように営業していた。S氏も幼少だった当時は祖父母に連れられこのデパートに年に数回来ていたのだという。

さて、当時の写真を見て行きましょうかね。これが久保田城側から取られたS氏が幼少期来ていたころと思われる写真だ。木内百貨店の象徴のトウモロコシ型のネオンサインが誇らしげに建ってるな。写真には屋上に観覧車も見える。

S氏曰く当時この屋上には、観覧車、ジェットコースターもどきwや、モノレール型の乗り物などがあったのだという。まさに昭和の子供たちからすればそれは紛れもない遊園地だったらしい。

その屋上遊園地は「屋上お子様遊戯場」と言われており。父母が買い物をしているときに、祖父母がこのお子様遊戯場で子守をしていてくれたのだという。まぁ、そんな祖父母は勿論、両親も既に亡くなってしまったらしいが。

続いてはこちらの写真。これは少し後年なのがお分かりいただけると思う。塔屋にトウモロコシ型のネオンサインが撤去されているのがお分かりいただけるだろう。その後も、お子様遊戯場は健在だったらしく、子供たちにとってはこの木内デパートで遊ぶのが最高のステータスだったらしい。ゲーム機もインターネットも無い時代、木内に行ってきただけで友達に自慢できたらしい。

「復刻版 木内の生ジュース」

で、この遊園地で遊んだ後は決まって子供たちは木内の生ジュースをおねだりしていたのだとか。果物が高級品だった当時はかなりレアなデザートだったにちがいない。ちなみに、2011年には木内の生ジュースが1日限りで復刻したという。この時のミキサーは当時の特注ミキサーを使いレシピも当時のままだったという。

そんな遊園地も、昭和の終盤にはアトラクションが1つ消え、2つ消え最終的には消滅してしまうことになる。これは、昭和後期からのモータリゼーションの発達によって中心地から郊外に人の流れが変わったことが大きいのだという。

 

現に昭和40年代後半から50年代にかけては、年商約130億円、従業員400名以上を擁していた秋田の筆頭百貨店だったのだが、その後は売り上げが右肩下がりが続いて行ってしまうことになる。

その後は、バブルが崩壊。秋田中心市街地からは小売店が少なくなり、この地区の集客力は急激にが衰え旧市街の座に転落してしまう。1990年(平成2年)には日本百貨店協会から撤退。翌、1991年(平成3年)営業時間を短縮し、かつ売り場面積を現在の1階だけの営業に縮小。すでにいわゆる百貨店としての体が毀損してしまっている。

次回は、残りの木内の様子をじっくりと見て行きましょうかね。

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(2020)