【今でも】簡単に廻れる「菡萏遊郭(かんたん)」の妓楼に潜入する!【そのまま】(5)

全国裏探訪取材班は、「菡萏遊郭(かんたん)」遊郭をあれこれ見て回っている。残す部分を見て行きましょうかね。

取材班がこの、かんたん遊郭で1番目についた物件がこちら。今現存するかんたん遊郭の中でも最大規模の妓楼だと思われるこちらの物件。

先ずは上空からご覧頂こうと思う。いかがですか?典型的なコの字型をしており、貫禄は充分だ。

こちらは別の角度から。多少オンボロ感は拭えないが、その分だけ当時の面影をよく残しているのではないだろうかと思う。ブルーの屋根の部分を増築しているんですかね?

だいたい同じ方向の地上から見ていく、こちらは路地から見る当物件。やはり、少し増築しているようだ。

その、路地方面にも裏口の玄関軒先があるのが確認できるだろうか。大通りは人目にもつきやすいのでここからお忍びで登楼。なんてことも行われていたんですかね?

その路地から2階部分を見る。網戸の向こうは窓が開いており針金ハンガーにタオルが干されている。微かに生活音も聞こえてきたり、、これは確実に住人がいますね。

続いて、メインストリートから2階部分を見る。うわー長年の太陽光でカーテンが焼けているのか見て取れる。こりゃそんなに裕福じゃなさそうだゾ。

すると、ゴミを捨てに女がやってきた。写真に写るこの老婆はここかんたん遊郭の妓楼に住んでいる女だ。年は既に90(!)腰も曲がってないし外見からとても90歳とは思えない。彼女が取材班にいろいろ当時の様子を語ってくれた。

 

彼女はここに住み始めてもう数十年経つのだという。主人が若い頃他界しそれ以降女一人で切り盛りしてきたのだという。

中には他人の証文に印鑑をうっかり押したりと波乱万丈な人生だったらしい。ただ、その彼女は決して悲観的でなく「苦労したからボケずに今も生活が出来てる。本当に感謝しかない。(現代語訳)」と達観した様子だ。

しかも、彼女は「もう私が死んだらこの家(妓楼)も終わりよ。もう終わり。」と自分の最期も悟った様子だった。

そんな、女の苦労話を聞きつつ妓楼を眺めると、また、この手摺の向こうで従事していた当時の遊女の苦労人生が重なってしまう。

 

これはかんたん遊郭版の嘆きの壁なのだろうか。妓楼が取り壊されたことによってこういった遺構が見られるのもこれまた一興だな。

さて、どんな屋号の妓楼があったのかも全国遊郭案内には記されている。「貸座敷には、大和樓、春栄樓、花月樓、中川樓支店、松石樓、新玉樓、大崎樓、港屋樓、入船樓、松竹樓、大正樓、寶海樓、壽樓、金栄樓、梅月樓、栄樓、春日樓醉月樓、一楽樓、玉川樓、常春樓、中川樓、等である。」

で、実は今回裏探訪取材班はある特別なレポをここでお送りさせていただこうと思っている。それがこの妓楼の内部の様子だ。

少々チラ見せになるのだが、ここで妓楼の玄関の様子をご覧頂こう。奇跡的にほぼ往時のまま残っているのではないだろうか。この妓楼の内部を次回隅々まで見ていきたいと思う。ただし、申し訳ないが記事が見られるのは投げ銭をしていただいた読者のみが見られる〈特別ページ〉でご提供させていただく。

 

なぜららば申し訳ないのだが、全国裏探訪取材班といえ、内部の様子を手に入れるのに相当苦労をした。事実「菡萏遊郭(かんたん)」の妓楼の内部は本邦初公開だろう。なので、今回は投げ銭をしていただいている熱心な読者への提供とさせていただく。もし良ければこの機会に投げ銭をしていただきと取材班も助かる。そうすれば半永久的に記事が更新できるだろう。しつこくなりましたが、どうぞよろしくお願いします。

それでは、次回はいよいよ妓楼内部へと潜入しましょうか。

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(2020)