全国裏探訪取材班は、名古屋市にある日本一の遊廓「中村遊廓」に来ている。この中村遊廓の所在地は現在の住所で言うと、寿町、大門町、日吉町、羽衣町、賑町と言う地名が今でも残っている。
「中村遊廓地図」
さて、ここから中村遊廓の縄張りを見て行こうと思う。この中村遊廓は1923年(大正12年)に開業した遊郭だ。元々は同じ名古屋の大須(旭廓)と言う所にあったらしいのだが、名古屋の都市部拡張の風紀上の理由で当地へと移転してきた。大きさは東西約380m南北約400mの周囲1.5kmの四角形の縄張りだ。
早速取材班は中村遊廓のど真ん中を東西に横断する現在のメインストリートを東側から侵入することにした。
すると、すぐに目に付くのがこの物件。なんだ、普通の家じゃないか。と思われるかもしれないがそう思った読者はまだまだトーシロー
この物件をよく見てほしい。防犯カメラが彼方此方に取り付けられているのがお分かりだろうか。
「稲葉地一家」
そう何を隠そう、この物件は十代目稲葉地一家の本拠地。この稲葉地一家は博徒系の極道として知られている。現在は指定暴力団六代目山口組の三次団体だ。なお稲葉地一家は三次団体なのだが、上部組織はあの山口組にトップを排出した中京の雄弘道会なので名古屋での影響力は絶大だ。
何でもこの稲葉地一家の開祖は富田善七と言う幕末の人物が始まりだ。しかもこの善七と言うのはあの東海道一の侠客「清水次郎長」の舎弟と言うのがもっぱらの経緯だ。
「高村」
侠客一家として長らく組織運営してきたわけだが中京戦争勃発、稲葉地一家は運命共同会、導友会、瀬戸一家、平野一家と共に中京五社会を結成。生き残りを図るが、その後1991年(平成3年)名古屋抗争が起こり中京五社会は弘道会や山口組に編入し、現在首領は十代目松山猛(前高村六代目)に至る。
「この事務所に立ち入り、又はとどまることは禁止」
今では山口組系として行政から目を付けられ、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律、いわゆる暴対法によって残念ながら使用制限が課された要る。
「ふぁーすと」
そんな感じで極道の事務所を横目に見つつ進んで行くと、稲葉地一家の隣にはファーストとかいうネーミングの現代の遊廓があったりもする。こちらは使用制限されず昼間にも拘らず商い中のようだった。
そういや日本全国のこういう遊郭とか赤線とか、新地って絶対組事務所がありますよね。ほら香川のココとか下関のココ、あと大阪のココ、和歌山のココ、鹿児島のココとか他にもいっぱいあると思います。やはりこういう地区と極道は切っても切り離せない因果があるということか。
ここが大門町の中心地だ。四つ角なのだが2つの角がソープによって占有されている所も、往時のままか。
さて、今日はココまで、日本一の遊廓と言われただけにさすがに広い縄張りだ。
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(2020)