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全国裏探訪取材班は、丸亀駅前の「一寸島神社」のオンボロバラック参道を訪問している。神社の参道という事は境内の中なのでバラックと言ってもそんなに大したことではないだろうと思ったのだが、これがなかなかの規模だ。
参道の両脇に鹿児島のここのバラック張りに傾いたりしているんですけどね。まぁ、鹿児島の物件は朝鮮人の不法占拠バラック街なんでちょっと違うかも知れんが、このバラックに関しても地元民に聞くと朝鮮人がらみだというのだ。
取材班が丸亀駅から、ここまで来るときに老婆が色々お話ししていただいた。「あそこは昔、戦後に引き揚げ出来ないあちゃらの人がたくさん居てね・・ほら、そんな人に神社の神主さんが土地を貸してあげたみたいよ。だからあそこに小屋とかを建てて商売してたのよ・・」と言っていた。
老婆は続ける。「私もまだ小さかったからね。私の子供の時は「あそこには行ったらだめ!」って言われてたね。」と取材班はお話を伺った。
なるほど、そりゃ小さい女の子が朝鮮人バラックに行ったら何されるかわからんし、しかもその参道前は福島遊郭だったんですからね。そりゃ行くなっていわれるはずだよな。やっぱここも朝鮮人絡みか。

たしかに、多く位の当時の日本人はこんな神聖な場所には恐れ多くてバラックなんかたてれんよな。まぁ人の善意を利用してナンボっていうのがあちゃらのヤリ方っていうか、国技だったりするもんな。
老婆の話によると、ここには朝鮮人だけではなく「確か・・手足がない人も居たなねぇ」という事も言っていた。傷痍軍人の事だろうか。戦後はそういう人が多かったんですよね。
ただ気を付けなければならないのは、老婆が見た傷痍軍人は“本物”だったのかという事。女の見立てはせいぜい70歳前後、1950年(昭和25年)だと仮定して物心がつく10歳(1960年・昭和35年)前後に見たとすればそれは偽物の傷痍軍人だった可能性が高い。
その頃は戦後から既に15年経過している計算になる。当時は、足にを曲げて包帯を巻き偽装。これ見よがしに足を失ったことを見せて募金活動などをしていた輩が絶えなかったのだと、95で死んだ曽祖父が言っていたことを思い出す。
現に1950年代には傷痍軍人による街頭募金の禁止が各都道府県の条例で禁止されたりもした。そう考えると、この老婆が見た傷痍軍人らしき人物はフェイクだった可能性が高くなる。まぁいずれにしてもそんな事でもしていかないと生活が立ち行かない時代だったことは事実だ。
そんな過去もこの神社は今までこの地で見てきたわけだ。たしかに、境内を見渡すとそんな戦後ドサクサ期の大変な状況を今に残すだけの雰囲気が充分ある。
さて次回は残りの「一寸島神社」を見て行きましょうかね。
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(2020)