全国裏探訪取材班は、倉敷美観地区から徒歩2分の「川西遊郭」に来ましたよ。前回取材班は倉敷一番街を抜けて川西遊郭北側からアプローチしたのでまずはそこから見て行きましょうかね。
川西遊郭の北側には小さな用水路が流れており、当時は外界とへだてられたいたのだろうか。早速このような物件を発見。鋭角な土地に物件が建てられているので変則な作りとなっている。
その物件の南側はかつて何かしらの“商売”をしていたのであろう跡がありました。現在は住人の駐車場になっているようだ。
「旅館 岩井」
これなんかも元妓楼だろうか。二回には円窓のようなものもあったり、完全に転業旅館だなこりゃ。まぁとにかくここが倉敷裏の美観地区「川西遊郭」で間違いなさそうだ。
「一品料理 そば うどん 樹」
ぱっと見、酒屋のような雰囲気なのだが、こちらは料理屋か。勿論、遊びに行く前は腹ごしらえなんかも必要なわけでこのようなカテゴリの店もあるわけだ。
当然ながら、この川西遊郭も戦後には赤線化。売防法施行でさようなら。と言うよくあるパターンなんですが、木造物件にこのように改装されているところがあったり、赤線の雰囲気を残す。
これなんかもそうかな。出入り口が複数あったりするし、いかにも怪しいでしょ?w上の看板にも目をやって行こうか。
「喫茶&スナック アタック」
売春が法的に禁止になったんで、名目上は自由恋愛として特殊個室浴場などに変化していったのは言わずもがなな歴史なんですが、スナックや小料理屋なんかもそのような恋愛“形式”をとるところは多かったようだ。
この「アタック」と言う言葉なんかも男から女に“アタック”して恋愛を演出する事で法の目をすり抜けていたんでしょうかね。現にここの連れ出しスナック街とか、ここのスナック街とか今でもその形式が行われてるし。
そのアタックの隣にある物件もこのような出入り口が2つあるパターン。ここもやっぱソッチ系の営業をしていたんでしょうかね。お、右の玄関からは家の主が出てこようとしている。これはひとまず退散。
「川西町 5」
現在の川西町のメインストリートの一つだったと思われる通り。民家の大多数は当時物の物件ではないのだが、ちらほら当時の物件が並んでいるので感度の高い読者なら一発でその異変に気づくだろう。
これなんかも不自然に木造建築に改造が施され近代化改装されている。今と見てはそのほとんどがお亡くなりになっているようにも見えるが、なかなか魅力的なんだよな。
もし仮にベースの木造建築が戦前戦中のものならば、右の近代化改装部分は戦後のものなのか。それぐらいの対比に見て取れる。和と洋。という簡単な言葉では片付けられない。
上を見上げると看板の側は飛び去り、蛍光灯が丸出しになっていた。この蛍光灯が割れ去るのはそう遠い未来ではないだろう。そんな脆弱な儚いかつての遊里のレポはまだまだ続きますよ。
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(2020)