【徒歩0分】京街道の中継地「橋本遊郭」ってどんなとこ?妓楼内部も初公開!【異界】(9)

全国裏探訪取材班は、橋本遊郭の検番跡、その後「橋本遊廓歌舞練場兼芸娼慰安余興場」となり赤線廃止後はアパートに活用されている天寿荘に潜入している。京阪本線の弱小駅のといえど、橋本駅徒歩0分にこんな半廃墟があるのは驚きだ。地上げ屋に目をつけられてもおかしくない物件なのだが、住人はどんな暮らしをしていたのか・・15年くらい前の写真をみながら考察して行きましょうか。

「八幡市社会福祉協議会」

天寿荘の玄関入ったとこには、八幡市社会福祉協議会と書かれた乳母車が置かれていますよ。生活保護者かなにかですかね。いずれにしてもかなり厳しい生活のようだ。てかこの老婆が撮影当時75歳として赤線廃止が1956年なんで赤線廃止時26歳だったことになるな。

ってなると、この乳母車の主は当時バリバリ現役で“商い”をしていたことななるな。そして、部屋の中を覗いてみると中はこんな感じ。

天井は剥がれ落ち、もうヤバ目だな。それにしても、乳母車の婆さん、現在はどうなってるんでしょうかね。まさか天寿荘だけに天寿を全うされたんでしょうか。それともまだ・・

長年の月日が経ち、外から蔦が侵入してきているようだ。これで15年前なんでもういつ潰されてもおかしくはないだろう。早めに裏探訪しないとね。

アパートの前は、当然、橋本遊廓歌舞練場兼芸娼慰安余興場で活用されてた場所なんで、この広間は慰安余興場か何かですかね。それにしても中な湿っぽく陰気なようだ。畳もブヨブヨだし気持ち悪い。

で、他の部分には板間の歌舞練場のような空間もありますね。ここで日夜歌に舞を練習していたのだろうか。写真や外観からみて取れるが、この物件は1階と2階間の高さが高いのが特徴。まぁ歌って踊るとそれなりの空間が居るしね。

15年前から奥の軒下は崩れ、半廃墟だったのだが住人のいたことが驚きだ。しかもこの機械類。これは簡単な工場だな。これってまさか赤線廃止後に職を失った女たちに仕事でも斡旋してたんですかね。

 

遊女から女工。なかなか当時から厳しい世界だな。こんな散らばった仕事道具をみながら、いろいろ想像が膨らませてしまう。

 

「5月 火曜 13」

その旧工房だったあたりには、5月13日火曜日と書かれたカレンダーが。この物件が建ったのは大正時代(1912年〜)なんで1913, 19, 24, 30, 41, 47, 52, 58, 69, 75, 80, 86, 97、2003, 08, これらどこかの年の日付だろう。さすが100年以上建ってる物件だけあってかなりの数「5月13日火曜日」があるんだな。

「リベロ」

話は変わるが、橋本遊郭から北に数百メートル行ったあたりに、リベロというラブホがあったりするんで、遊女から転業してまた“遊女”を続ける女もいたんですかね。

おっと少し、話が逸れてしまったが、歴史の詰まった「橋本遊廓歌舞練場兼芸娼慰安余興場」はいかがだっただろうか。

次回はいよいよラスト、特別ページで遊郭の内部を見て行きましょうかね。

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(2019 2005)