全国裏探訪取材班は、岡山市の「中島遊郭」へ来ている。全国の読者は知らないかもしれないが、岡山と言うのは“教育県”を標榜しているという。その為赤線廃止後は、もちろんこの中島遊郭もソープ街などに変身するわけでも無く現在の様子だ。
その痕跡を今に残すかのように東遊郭だった時代の物件が今にも残っている・・
これなんかもそうですかね。物件がこの字型になっており中庭があることが容易に想像できる。
無事に今でも残っている。手摺の意匠も残っていたり、これはなかなか見ごたえがあるな。
こちらは前面より。オーソドックスな中級の妓楼といった感じでしょうかね。かなり前に改装された後はありますが。
「旅館」
「富久屋」
赤線廃止後は旅館に転業してんですかね。規模的にはこの富久屋が東遊郭では一番の見所ですね。
ちなみに全国遊郭案内にはこうある「(略)貸座敷は目下約七十軒あつて、娼妓は約四百人居るが、九州地方の女が重である。(略)」
「(略)遊興は時間制と通し花制で、廻しは一切取らない。費用は一時間遊びが一圓六七十銭位で、全昼は七圓全夜は八圓見当で、臺の物は附かない。」
なるほど、これを読むと少し興味深い。西遊廓の時も全国遊郭案内を紹介したが「東廓の外に西廓をも持つて 居る。」との表現で当時は西遊廓よりも東遊郭の方が“上位”というか“高級”だったようだ。
それは貸座敷の数や娼妓の人数、値段設定からも現れており、西遊廓貸座敷59軒に対し東遊郭貸座敷70軒。西遊廓娼妓数約350~360人に対し東遊郭約400人。西遊廓費用ショート1円50~60銭、昼ロング6円、夜ロング7~8円に対し東遊廓費用ショート1円60~70銭、昼ロング7円、夜ロング8円といった具合だ。
西・東遊郭を見てきた印象だが、現在は遺構に関してだけ見ると、西遊廓の方が多いように感じる。川岸から近い利便性の高さか、元々のステータスの高さから“東”を選んだのか。
取材班が辺りを見回っていると、猫が居り怪訝なまなざしで取材班を睨みつけている。かつての女郎が成仏できず猫に化けているんですかね。だって中島遊郭跡には神社系の祠ばっかりで寺がないんですよね。すなはち、墓がない。遊女と言うのは病気にかかる可能性も多くその死に関しては一般人より軽く扱われていたようだ。
そんな悲惨な様相は、中島遊郭を舞台にした岩井志麻子著の「ぼっけえ きょうてえ」にも描かれている。ぼっけえ きょうてえと言うのは「とても恐い」という意味だという。
ぼっけえ きょうてえは、中島遊郭で醜い女郎が客に自分の身の上を語り始める。間引き(堕胎)専業の産婆を母に持ち、生まれた時から赤ん坊を殺す手伝いをしていた。彼女の人生は血と汚辱にまみれた地獄だった。というお話。そこからおぞましいオチへと誘うホラー小説だ。
もしかすると、この「ぼっけえ きょうてえ」を読んでから夜この中島遊郭に訪れるとかなり雰囲気があるかもな。そうすると二度と「中島遊郭」を忘れないかも。
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(2019)