全国裏探訪取材班は、前回までヤマビルに襲われながらも「寒川集落」を取材してきた。廃村の取材を終え、通常はここで探訪終了になると思われる。しかし、この寒川集落は表題の通り宮崎県初の集団離村だったわけだ。とすると、その離村先も見ていきたいと思った。
取材班は、寒川集落から麓の人里に降りてきた。さて、我々の調査によると寒川集落からの離村先というのは、廃村の麓にある「福王寺」という場所らしいのだが・・
そこで、検索エンジンなどで“福王寺”というワードで検索をしたのだがヒットしたのは「宮崎県道325号福王寺佐土原線」というものだけだった。どうやら、福王寺というのは正式な住所としては存在しないようだ。
「福王寺集落資源ごみ集積所」
それでは、福王寺というのはどの辺なのかと思っていたところ、地図で宮崎県道325号福王寺佐土原線を西方面になぞっていくと、ちょうど寒川集落近くになることが分かった。早速取材班はその県道の延長に行ってみると福王寺集落資源ごみ集積所なる物件を発見。ついに発見しましたよ。福王寺集落。
〔32°04’39.0″N 131°18’58.2″E〕
その福王寺集落というのは住所で言えば、宮崎県西都市大字上三財という場所。詳細には上記座標を参照していただきたい。
この界隈をは一般の民家が点在する集落なのだが、取材班はその集落の中に、不自然に立ち並ぶ同じ形の民家を発見。こ、この立て方はいかにもお役所仕事の物件っぽい。
「ここは市営住宅の敷地です。 無断駐車禁止 西都市建築住宅課」
早速その地区へ足を運ぶと、同じ意匠の民家が5、6軒立ち並ぶ。電柱には市営住宅との表記もあり、やはりビンゴだたようだ。
これが正に行政による移転補助金事業「過疎地域集落移転整備事業」で建てられた家か。そんなに貧相な家には見えないのだが豪華さは無く、いかにも農地に建てられた市営一戸住宅といった具合で、単刀直入に表現すれば安普請。という感じだ。
その移転住宅群の裏には、このような神社兼集会所があったりもする。
「寒川」
この神社の境内内に在る石碑には「寒川」の文字がかすかに残っていた。
「(N)」
ココでもお伝えしたいた、寒川集落内の所有者の名前が書かれた看板。それと同じ苗字(N)と書かれた表札もこの市営住宅の玄関に上がっていましたね。
こっちの住宅も同じ名前(N)と記載がある。やはりここが、集団移転先らしい。寒川集落で400年ほど歴史を紡いできた歴史を知る人々も現在は、麓の集落で再出発している。
さて、寒川集落はいかがだっただろうか。ここ寒川集落に限らず、日本の山村文化が残っていたこのような集落の消滅が、現在進行形で日本全国の限界集落で起こっている。
疲弊しまくった東京のサラリーマンには、このような集落でのスローな生活も良いかもしれない。過疎地の色々な活用があっての地方創生だろう。
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(2019)