【別府温泉】“別府八湯”最古の温泉「浜脇温泉」とその色街「浜脇遊郭」【発祥の地】(4)

全国裏探訪取材班は、今回取材している「浜脇温泉」は別府八湯の中で最古だと言うことは前回お伝えしているのだが、いったい最古とはいつなのか、いつ頃からあるのだろうか。

「浜脇2丁目2区案内図」

こんな手書きの看板が今でも残る浜脇地区。この手の地図を見ただけで取材班は小躍りしたくなる。

「注意・徐行」「子供とび出し」

この隣集落となる別府は、安土桃山時代には既にあったようで、幕藩体制になった際には中津藩の一部として存在した。その後は旗本や幕府領、熊本藩、日田藩など多数の過程を経て1686年(貞享3年)に幕府領として落ち着いた。

この浜脇も1686年(貞享3年)より幕府領となることになる。当時は浜脇村と言っていたそうで、遊女宿が数件立ち並んでいたようだ。

今でも、江戸時代というのは大袈裟かもしれないが、このへんの物件の様子をみていると、遊郭だった。といえば頷くことしかできない。

「しんわ CREDIT あんしんはしんわ 事業者ローン 別府支店 ☎︎0977-26-7722」

「あんしんはしんわ♪あんしんはしんわ♪」といコマーシャルを知っている人はおそらく九州近辺から西日本の40代以上の読者だろうか。今でも街金として立派に高利貸し業を頑張っているようです。

「らくらくキャッシング MINENO ☎︎33-0006 街をキレイに」「ハートキャッシング アイワ ☎︎32-6000 街をきれいに トキハ横4F」

らくらくだの、ハートだのいろいろとソフトな文句が並んでいますが、これ単なる貸金ですからね。ハマったらハードですよね。ソフトに貸してハードに取り立て。ですかね。にしても、貸金街金が多いのも土地柄か。金をここで調達していくんですかね。ご利用は計画的に。

これなんかも、そうなんすかね。一つの棟に何個玄関あるんだよ、、

で、めでたく維新を迎え明治期になると、別府と浜脇の色街としての地位が変わることになるようだ。

ここらでの遊郭としての業というのは貸座敷業が盛んで、明治中期ごろから明治後期にかけて、別府よりも浜脇の勢力が拡大していくことが「新別府花柳細見」という資料には書かれている。

具体的な軒数でいえば、別府が19軒なのに対して、浜脇は44軒といいダブルスコアで浜脇が別府を圧倒していたと言う。凄いな。今となっては、圧倒的に別府なのに(!)そんな歴史もあったんすね。

そしてこの浜脇遊郭の貸座敷群の特徴は、民家とその他の商店などが混在している事らしい。今でもその傾向は変わらないようだ。

うわー今でもガッツリそれらしい物件が残っていますね。それにしてもズタボロだな。

「日本共産党 掲示板」

見ての通りこのような状況なので、生活は楽ではなさそうだ。停まってるのはもっぱら軽自動車だし、、実際そんなレベルの地区に多い共産党のポスターなんかもしっかり貼られてるし。

「理容 高橋」

一瞬表に廻ったりしたんだが、やっぱ裏に回るとこりゃ凄い。すべて別の種類の途端に剥げ加減もすべてランダム。

近くにはコンクリブロックを積んだだけのようなアパートもあったり。流行り厳しそうな町なのには変わらない。近代には別府をしのぐほどの勢いがあった浜脇遊郭も今はこの通り。

「犬 サンポ ウ○コ ダメ」

このような看板があったり、もう脱力しまくりな街なのである。左下のイラストは別府タワーなのかウ○コなのか・・

最寄り駅は、日豊本線の東別府駅という駅なので浜脇遊郭を訪ねる際はここを利用するように。温泉目当てに別府に来て、浜脇温泉に入り、風流な街並みを巡る。これを“通”というものではないだろうか。

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(2019)