全国裏探訪取材班は、大阪五新地のひとつ「信太山新地」に来ている。この全国裏探訪の読者ならば大阪関西で言う“新地”というものはどういうものなのかご理解していると思う。今回の取材には大阪きっての新地事情通も連れてきた。さっそく調査開始だ。
「JR信太山駅」
取材班はJR阪和線に乗ること天王寺から約30分、信太山駅に到着。この駅は普通しか停車しないので注意が必要だ。
飛田新地や松島新地ならば商業都市の大阪には必須のピンクスポットなので、その発生の理由が容易に理解できるのだが、こんな大阪の田舎になぜ新地が?と思われるかもしれない。
「陸上自衛隊 信太山駐屯地」
ただまぁ理由は簡単。陸上自衛隊の事実上の前身、日本陸軍の信太山駐屯地が1919年(大正8年)にここに開設。“ 歩兵連隊あるとこ遊郭あり”という言葉もあるように、この信太山に関しても漏れなくその法則が当てはまる。
「明日の和泉に新風を‼」
ただ信太山新地の歴史は実はそれよりも古く、江戸時代初期のころから存在するという。理由は熊野詣の帰りに“精進落とし”と言って巡礼が終わった帰路において酒や肉を食べたり、女に入れあげたり普段の生活を普段の生活に戻す景気づけのような風習があったという。
そんなこんなで、歩兵連隊が設置される前から信太山にはソレっぽい施設があったという。ただし、信太山駐屯地が出来たので信太山新地の規模が大きくなったことは間違いないし、元々そんな施設があったので駐屯地を置いた。ということも十分考えられる。
まぁいずれにせよ、かつてより信太山新地は男所帯の駐屯地からすれば、最高の慰安所として機能したという。戦後は赤線として栄え今の状態になったという。
「みどり」「ミナミ」
信太山駅から阪和線沿いを大阪方面に歩くこと約5分。信太山新地の入口に到着。さっそく新地内をウロウロしましょうかね。
「旅館 樟」
この信太山新地は、妓楼っぽい物件から場末のスナックのような物件まで色々ごった煮のように存在する。飛田のように料亭形式ではなく、基本的に旅館形式だ。なので女自体は旅館にはおらず、置屋から呼ぶスタイルだ。
これが夜の様子。赤信号までも淫靡な色に見えてきてしまうのがこの地区の魔力というものか。次回は信太山新地を存分に歩き回って調査していきたいと思う。
お楽しみに。
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(2016,2019)