【嘗ては】大阪五大新地の一つ「松島新地」を見て回る。【関西最大遊郭】(2)

全国裏探訪取材班は、嘗て関西最大遊郭だった「松島新地」に来ている。この松島新地と言うのは、元は“松島遊郭”と言われていた。ただ、松島遊郭といわれていた時代と、現在の松島新地では実は場所が少し異なる。

実はこの前松島遊郭時代は1869年(明治2年)に開業、場所は現在でいう幹線道路国道172号線を東に行った部分で、現在の住所でいえば西区千代崎1丁目付近となる。現在ここは単なる住宅地になっている。写真の手前は現在の松島新地のブロック、奥の信号から向こうが、旧松島遊郭エリアだ。

「未来」

移転した理由と言うのは、他でもない大東亜戦争当時1945年(昭和20年)にあった大阪大空襲。大阪市は灰燼と化し、関西最大と言われた松島遊郭も焼失してしまう。

「花」「コモナータ」「金糸」「華花」「春暉」「夕月」「紀の国」「響」「千」

大東亜戦争が終結し、場所を現在の九条1丁目に移し松島新地として再出発することになる。いわゆる赤線として復活するわけだ。

「咲」「沖」「ふわり」

赤線の後、1958年(昭和33年)の売春防止法施行後は松島料理組合を結成。あくまでお上への届け出は「料理店」として計上し、仲居とお客との関係という建前のもと“商い”を現在でも続けている。

「淀」

大阪大空襲以前の遊郭を彷彿とさせる妓楼風の建物で、松島遊郭のテイストをのこし今でも残すのは戦後70年以上経つためか。充分エージングが進み本物の遊郭感がしなくもないんだよな。

「きらり」

「貴公子」「さやか」「心花」

「ききょう家」「ゆき」「微笑」「なにわ」「まりも」「桃の弓」「千姫」「愛れん」「ゆかり」

見ていただければお分かりのように、松島新地はかなりの数の料理屋が並ぶ。これはすごいな。

「楽天」「禧光」「乙葉」「京伽」

これだけたくさんの料理屋が並ぶルーツは、元の松島新地に隠されている。レポの題名にもあるが、かつての松島遊郭は1869年(明治2年)明治初期に開設。開設時の勢いは吉原をしのぐとも言われ、遊郭約260軒、娼妓4000人を上回ったという。一時期は関西最大規模の遊郭にまで上り詰めた。

「花月」「西区 九条一丁目6」
今回は、ざっくりと松島遊郭から新地への変遷の歴史をお伝えしてきた。次回はもう少し踏み込んで色々な中身をレポできればと思っている。お楽しみに。

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(2018)

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