【ここは特別工業地域です】最強の腐敗臭!東日本最大の皮革産業地帯「東墨田」【閲覧注意】(6)

全国裏探訪取材班は、一般人は基本的に目にすることがない風景をお届けした。少し覚悟が行ったかもしれないのだが、これが日本のある一部の姿だ。しかもこんな場所が1000万人住む東京23区にあるという事実。もちろん特別に施設内に入ってみた風景ではなく、路上から視界に入るものしか掲載していない。他にもちらほら色々見ながら京成押上線の八広駅まで帰ろうとするか。

「墨田区立 あじさい児童遊園」

公園の隣には革を乾燥する施設。なかなかシュールな光景だな。絵的に子供が遊んでいないのが惜しいが・・

「まもろう 憲法9条 ストップ!安倍政権 日本共産党」

路上から何か器具が見える。

これは、革の水を絞り、伸ばす工程か。B級ホラー映画マングラーみたいだな。生々しさがどこか拷問器具っぽい。

こちらも、鞣し器具か。稼働はしていない。

ここもどう見ても皮革産業系の工場なのだが、どうやら廃業しているようだ。もうすぐ解体作業に入るようだ。

強烈な臭気を排出するエリアに近いバラック工場。完全に昭和の風景がいまだに広がっている。

「止まれ」

この辺になると、アスファルトか完全に油脂で塗布され多様な状態だ。取材班も急にトラックが出てきて避けようとすると、油脂の性で滑って転びそうになった。こんな所で滑って服が汚れたら最悪だよな・・

 

そろそろ、八広駅に向かって歩く。

「京成押上線荒川橋梁」(手前)と「木根川橋」

この辺りは、少し曰く付きの土地となっているようで、1923年(大正12年)関東大震災の折、震災の混乱のさなか“朝鮮人が井戸に毒を入れた!”“朝鮮人が暴動を起こす!”とのデマが広まり官憲や自警団に朝鮮人が殺害されたという事件があった。

「ほうせんかの家」

その事件の概要では、殺害された6000人の朝鮮人は、この橋の下に埋められたというのだが、かなり根拠に乏しい。お決まりの特亜の数字マジックだ。

ここには、「軍隊が機関銃で韓国・朝鮮人を撃ち――」と書かれている。そもそも大正12年当時なんて機関銃なんて、ほとんど配備されずとても珍しかった時代だ。怪しいな。遺体もどこに行ったのかも記されてないし・・そもそも1920年(大正9年)当時、当時東京の朝鮮人は2500人ほどだったので辻褄も合わないよな。

 

その上、「ヘイトスピーチ、許さない。」などいろいろな左巻きのポスターが張ったあったり、「追悼式」とかあったり。まぁいつもの“被害者ビジネス”だな。

「地震だ!あわてず冷静に!」

ここの土地柄なのか、白々しい文言がしれっとそれらしく書かれている。

最後少し話が横にそれてしまったが、この地区はこんな感じのエリア。と言うイメージが伝わればと思う。実際、皮革産業エリアではベンツ・レクサスなど高級車も非常に多く、この朝鮮人の案件にしても色々闇が深そうだ。ただ、安易に取材はお勧めしない、たとえ外国人であってもカメラを向けると「NO!PHOTO!」と、怒りをむき出しにされた。このエリアの空気に飲まれ働いている外国人も、差別偏見などのマイノリティを感じているのではないだろうか。

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(2018)