【海の男】遠洋漁業の町「焼津」かつての赤線「弁天地区」を歩く。【陸の女】(3)

全国裏探訪取材班は、遠洋漁業の町焼津に来ているわけだが、その港町に海の男があっしげく通った赤線があった。焼津中港5丁目に入った。

なにやら奥には怪しい街並みが広がりそうな雰囲気だな。

建て増し鉄骨丸出しの建物など多数。これは期待できそうだ。

この辺にあるアパートは男一人所帯用なのかかなり狭苦しいイメージ。完全昭和だな。

海に出て帰ってこない遠洋漁業オーナーなのでパンクしているのかは定かではないが、放置自動車もちらほら。そんな土地柄か。

これは旅館か。かなり年季を感じる造りだな。

「旅館 はつね 入口」

既に息絶えやっていないのだが、完全に赤線旅館の雰囲気が漂う。こ、これはシブい。調べたところ1959年(昭和34年)の住宅地図にはすでに掲載されていたので1957年(昭和32年)以前の売防法以前の現役時代からあったのかもしれんな。

事実地元民曰く、1957年以前の売防法以降でも裏では旅館として絶賛営業中だったらしいな。実際利用していた壮健な老人が言うのだから間違いないだろう。(笑)

「清酒 白雪 お食事処 おせつ アサヒビール」

赤線スナックと言うよりは佇まいは食堂っぽいのだが、もしかすると売防法以降に商売替えしたのかもな。ネーミングの「おせつ」っていうのが妙に女の名前っぽい。

 

そんな“陸の女”は“海の男”の為のある種の慰安所の商品だった。そんな価値観の時代もあった。その痕跡が令和時代の中港5丁目には今だに残る。

写真左は駿河湾にそそぐ朝比奈川の河口護岸。この先にはこの地域の守り神がある。

(Googleより)

この地域の鎮守は海の守り神でもある「宗像神社」。そのため“弁天さん”と呼ばれ、そこからここ界隈が“弁天地区”などと言われることもあるようだ。なるほど赤線弁天地区か。うんうんそれっぽい。

それはそうと、この地区は細い道が多く高い建物もない為、311東日本大震災を教訓として、中港公園に津波避難棟も整備されている。この高さで問題なければいいのだが・・

 

ちなみにこれが津波避難棟から見た太平洋の様子。津波が来ないことを切に願う。

やはり周りに高い建物や場所がなく避難棟が必須なのが分かる。

そうこうしていると、避難棟の上からかつての赤線を見下ろしているとさらなる物件を発見。これは期待できそうなので最後もう少しここを散策しようとしよう。

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(2019)