全国裏探訪取材班は、福岡県大牟田市にある三井三池炭鉱を訪ねている。この三井三池炭鉱は大牟田市街地を囲むように炭鉱が点在しており、江戸時代から近代までは一大エネルギー地帯だった。
この橋を渡ると三川地区。
大牟田市街地から389号線を南下し、途中Y字の交差点を右折。大牟田と熊本県荒尾市の中間ぐらいに「三川」集落はある。この三川集落のある三川港はかつて三井三池炭鉱で採掘された石炭を積載する港だった。もちろん、三川坑としても稼働していた時期があった。場所柄、坑夫を中心とした街であり当然のことながら色街もある。さっそく探訪してみよう。
「旧三池港倶楽部」
三川集落への道には三井港倶楽部がある。ここは三井関係と内外の高級船員の接待場所。1907年(明治40年)に清水組により起工。モダンな外観がかつての栄華を思わせるな。現在の内部はレストランや結婚式場として運用されているらしい。今度行ってみよ。
「三井三池炭鉱三川坑」出入口。
「三井石炭鉱業株式会社 三池鉱業所」銘板も今もしっかりと残される。
「三井三池炭鉱三川坑」事務所。
ここ、三井三池炭鉱三川坑は1937年(昭和12年)に掘削開始、1940年(昭和15年)に出炭を開始した。閉山は1997年(平成9年)。一番最後まで掘削された炭鉱で当時の創業の様子が色濃く残っている。ひっそりと一般公開されているので見て行こう。
「三池炭鉱専用鉄道路線図」
当時の大牟田氏はこのように炭鉱都市として栄え、市内中に専用船が張り巡らされていた。この三川はその最終地点であり、港より採掘した石炭の積み込みもされていた。
「第二斜光入昇坑口」
ここ三川坑は三池炭鉱では最新の技術が取り入れられたらしく、斜坑は揚炭の第一斜坑、人員昇降の第二斜坑の2つあり共に幅6m高さ3.3mのアーチ状で長さが2㎞あり“大斜坑”と呼ばれたいたようだ。
「人車点検場」
この三川坑の地上は当時のまま放置されている。と言っていいほど当時のままだ。
たった20年前までこのような人車に乗り込み創業していたとは・・
この斜坑は有明海に向けて掘られ、基準深度は海面下350m、最深部はなんと520mだった。
「第一斜坑・第二斜坑 入昇坑口」
真新しい建物なので当時のレプリカだろう。しかしフォントなどは当時の面影をトレースしているあたりはいい感じだな。「ご安全に」「ご苦労さん」は炭鉱マンの必須ワードのようだな。本日は公開していなかった残念。
次回はもっと詳細を見て行こう。
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(2018)