【すべては】「ニイタカヤマノボレ一二〇八」も送信した?針尾無線塔の内部に潜入。【ここから始まった】(2)

 

全国裏探訪取材班は、長崎県佐世保にある、針尾無線塔に来ている。前回は1号塔を紹介してきた。今回は2号塔と3号塔を見て行こう。

「2号無線塔」

見事にそそり立っている(笑)手前のアンテナは現在の新アンテナ。だいぶん規模が小さくなってるな。

「3号無線塔」東直下から

建築の特性に目を向けてみよう、鉄筋コンクリート技術は1890年代にフランスで発明され、わが国で導入されてのが1895年(明治28年)。それから20年ほどでこれほどの完成度の高い巨大建築を建てた。

「3号塔の劣化調査跡」

少し前大手建設会社による劣化度の調査が行われた。調査すると当時から素材は厳選していたようで、セメントの砂や玉砂利は唐津の松浦川から採取ししっかり洗浄されていたようだ。鉄筋も非常に純度の高い鋼材らしい。コンクリートの表面はもとより内部のコンクリートの変質、ひび割れもなく、鉄筋も完全で耐震性も全く問題がない。調査結果は、築90年以上経過し従来は寿命残り20年程度と言われていたが、まだ100年は耐えられるようだ。今の水準にしても素晴らしい完成度だな。

「3号塔根元部分」

よく見ると縦横に筋が入っているのが分かるだろうか。これは木枠の跡で、下から順にコンクリートを打っていった。一段1m36㎝でこれを100段積んである。

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「3号塔見張場跡」

塔の中腹にはこのようにベランダ状のせり出した構造物があり、それぞれ司令部のある正三角形の中心部に向かっている。ちなみに、1、2号塔は佐世保や中国大陸へ、2、3号塔は東京、広島方面へ。3、1号塔は台湾南太平洋方面へ電波を飛ばす役割だったという。

「2号塔頭頂部」

この電信塔が建ったころは通信が非常に重要になっていた時代で、当時の少し前にあった日露戦争では仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊の接近を無電で報告。日本海海戦の勝利に貢献した。そういった背景もあり針尾無線塔は建設された。運用当時は長波通信という方式で高出力で長いアンテナが必要だったためこのような規模になった。第二次世界大戦頃になると長波通信よりも短波通信が主流となり補助的な役割へとなる。終戦後は米軍に接収され、1948年(昭和23年)に返還。それ以降は海上保安庁と海上自衛隊と共同で利用され、1997年(平成9年)に役割を終えた。

現在は「佐世保海上保安部針尾送信所」として運用されており新しいアンテナも建っている。見事な1世紀の時を超え新旧コラボレーションw

次回はいよいよ塔内部に潜入!動画もある。

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(2018)