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全国裏探訪取材班は、隠れキリシタンについて大分で取材をしている。日本人誰もが南蛮文化と聞けば、長崎や出島などを思い起こすかも知らないが、実は日本で最初にフランシスコザビエルを招きキリスト教を推奨しだのは豊後(大分県)の大名大友宗麟だ。大部分は幕府による禁教令で破却されてしまったが、熱心なキリシタンが秘匿し守り抜きながら信仰していくうち、それが風習になり“隠れ”キリシタンとなっていった。
今回紹介する「久戸稲荷」(くどいなり)も、当時の岡藩の武家屋敷の土地奥に建立されている。県道8号線の久戸谷隧道の脇を登っていく。
竹田市街側のトンネル出入り口右上あたりに「久戸稲荷」はある。
〔32°57’43.2″N 131°23’47.3″E〕
「久戸稲荷」(右)と「久戸谷隧道」(左)
久戸“稲荷”という名前ではあるが。中にある稲荷は祀られたのは20年ほどい前くらいかららしく、それまでは何もなかったらしい。外見はよくあるキリスト式の5角形の形だ。5角形上の部分には建物と接続されていたと思しき柱の穴があり、かつてはお堂のようなものがこれに接続されていたっぽい。間違いなくキリスト式だな。

奥行きは崖から1mほど掘られ、中には祭壇がある。現在は稲荷が安置されているが、かつてはマリア像や十字架があったのだろうか。真実はもうわからんな。
400年以上の時が過ぎ迫害の時期もあったが、あまりの綺麗さにバチカンからの使者も驚いていたという。
「ジョセフ・チェノットゥ大使」からの樹木も植えられている。
ちなみに“久戸”(くど)稲荷の名前は、キリスト”の音から変化したものともいわれる。キリスト→クルスド(現地訛り)→クド。なるほどな。
「久戸谷隧道」(現代)(左)と「久戸谷旧隧道」(右)
話は脱線するが、この久戸谷旧隧道は1873年(明治6年)掘削開始、1874年(明治7年)竣工とされている。
「久戸谷旧隧道」内部
トンネル断面は幅2m縦2mほどあるようだが、長年の砂などが溜まり底が上がっている。現在でも貫通されているらしい。
少し中に入ってみるが、途中で柵がされていた。このトンネルの特筆すべき点は、先進導坑や焔硝割工法を採用した最古級の隧道だ。ただし、馬車が通れないため、現在の久戸谷隧道(現代)の位置に久戸谷“新”隧道が新たに1887年(明治20年)に掘られ役目が終了した。その久戸谷新隧道も現代に拡幅され今のコンクリート造の久戸谷隧道現代)になったようだ。
取材班は久戸谷隧道(現代)を通行したのだが、奥のトンネル出口にある商店の看板が十字架に見えるのは気のせいか・・暗いトンネルを利用し、光の方を見させてそこに後光を指すように十字架が。仕組んだにしては良く出来てるな。隠れキリシタンを取材していると敏感になる(笑)
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(2018)