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全国裏探訪取材班は前回、青函トンネルの建設に新たに導入された技術などを体験コーナーの写真を交え紹介して来た。 そして、取材班はケーブルカーへ乗車。やっと地上までやって来た。



竜飛崎は、中世より北前船の寄港地“三厩”とほぼ同じ場世に位置し、少しの栄を見せた。
明治に入り、日清戦争日露戦争と続き、ロシアを仮想敵国とした大日本帝国はこの地に、1901年(明治34年)“龍飛望楼”を設置。さらに1937年(昭和12年)に津軽要塞として砲台を建設。以後は仮想敵国がアメリカに代わり、1940年(昭和15年)に帝国海軍が龍飛特設望楼を設置。敗戦後役目を終えた。




起工式は1971年あたりから、この龍飛崎の高台に工事基地が設けらた。国土地理院の1975年の航空写真では青函トンネル建設のための多くの施設が立ち並んでいるのが分かる。この工区だけでも鉄道建設公団関係者約400人、請負企業関係約800人がこの坑口から従事していた。そして、青函トンネル全体の工事従事者は延べ1389万人に達した。

次回はいよいよ最終回。再度竜飛海底駅から列車で帰路につく。
#外ヶ浜町 #木古内町 #鉄道 #これはすごい #マニアック #巨大建築
(2012)