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全国裏探訪取材班は、大和郡山の洞泉寺遊郭の取材を終えた。
しかし、ここ大和郡山には奈良三大遊郭の洞泉寺遊郭の他にもう一つ東岡町遊郭「郡山新地」がある。
ワクワクしながら、早速全国裏探訪取材班は足を運んだ。
ワクワクしながら、早速全国裏探訪取材班は足を運んだ。

同じく柳町商店街を南下していく・・
さすが日本でも指折りの金魚の生産拠点、大和郡山。廃業したガソリンスタンドだろうか・・その傍らにめずらしく電話ボックスがあると思ったら・・・金魚の水槽でした。
前衛的と言ったらいいのか、何と言ったらいいのか、わからないw

柳町商店街の南端終点には「大門湯」この、「大門」という名前から遊郭の出入り口だったことが容易に推察できます。

大門湯の前にあるのが「御宿 花うちや」です。どっしりと構えています。

相当古いようで煙抜きの屋根瓦になっています。それにしても軒下の銘が良いですね。タイムスリップです。
このお宿を目印に、西に行きます。もう東岡町は目の前です。

「はきも乃」営業はしていません。

西へまっすぐ進むと近鉄橿原線に突き当たります。その左手あたりが東岡町遊郭です。

東岡町遊郭にやってきました。洞泉寺町のようには手入れされていません。どことなく廃墟感が漂っています。

どう見ても遊郭跡の木造建築物に「旅館」。うん、何かアヤシイ・・
この東岡町遊郭、洞泉寺遊郭と共に昭和33年(1958年)に売春防止法の施行によって遊郭としての営業を終了した。
が、東岡町遊郭後だけはこのように「旅館」などの表札を付け、その後30年ほど“ちょんの間”「郡山新地」として営業し続けていたようだ。
しかし、昭和63年(1988年)ある極左新聞社(‹⋆›)が警察を出し抜き特ダネとして報道。面子を破られた奈良県警は一斉にすべて摘発。郡山新地は壊滅してしまった。

今でも屋号が入った電灯が残っている。

3階建の木造遊郭も手入れされることなく放置状態だ。

立派な3階建の木造遊郭。こちらは住居に転用されているのか、、

写真の雰囲気から読み取っていただけるだろうが、洞泉寺遊郭よりも暗い雰囲気が漂っている。
洞泉寺遊郭は売春禁止法で昭和33年に廃業市60年が経過、ここ東岡町遊郭(郡山新地)は昭和63年に摘発され30年が経過。廃業してからの月日を考えると後者の方が新しく思うが、どちらかというと、洞泉寺遊郭の方が整備が行き届き、民家への転用や、行政による保全で往時の様子がしっかりと残されている。
やはり、違法営業というネガティブな暗い歴史がそうさせるのか・・・

「うなぎ 満塁・丼物 品乃家」
“品”があるかはどうかわからないが、昔は鰻で精を付けてヌルヌル遊んだんだろう・・
“品”があるかはどうかわからないが、昔は鰻で精を付けてヌルヌル遊んだんだろう・・
妄想はこの辺でさらに元「新地」を見て行こうと思う。
#大和郡山市 #遊郭 #路地裏 #レトロ #裏風俗 #マニアック #ズタボロ #赤線
(2017)