【サリン事件】「オウム真理教」「サティアン」跡地を調査する【本拠地】(3)

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全国裏探訪取材班は、山梨県の南都留郡富士河口湖町とやって来た。宗教団体オウム真理教の宗教施設サティアンがあった場所へと訪れた。日本を震撼させたあの宗教団体の後地の現在の姿を視察しにきた。

令状による強制立ち入り捜査当時はここにはオウム関係者の車だけでなく、マスコミや警察車両だけでなく、機動隊および自衛隊の化学兵器対応部隊が右側の道を埋め尽くした。今となってはその面影すら残っていない。まるで禁教時代の「島原・天草の乱」の原城跡のよう。

時は遡ること約400年ほど前、長崎県の島原で過酷な年貢の取り立てとポルトガル人の強力な布教活動によってその力に恐れを感じた幕府とキリシタンが争った。その際原城に籠もったのだが、圧倒的な幕府の力によって破れた。キリシタン達は破れた後、元々聖地化してしまうことを幕府は恐れ原城はのちに敵味方関係なく徹底的に破壊された。

麻原を始めとするオウム関係者の死刑執行が一気に、そして不意に報道させたのも、遺骨や死んだ場所が「聖地化」することを恐れての対策といっても過言ではないだろう。

この国はかつて高い結束力を武器に国家戦略的に利用し世界に畏怖を与えてきた時代があったが、それを一宗教団体が力を持つと流石に黙ってはいられなかった。

特に中の正体がわからず、まさか国家転覆を狙っての毒ガス兵器の製造、武器の密輸、兵器の買い込みなどサリン事件が発覚するまでは明確な証拠という実体は広く世間に知れ渡っていなかった。

奥に休憩所が唯一の公園らしいものである。このネコは麻原の生まれ変わりだろうか、我々をかつての聖地で出迎え、何か案内してくれているのだろうか。奥に進んでみる。

見晴らしのいいベンチがあるが、見ての通り手入れはしばらくされていない。まあ、悲惨な事件の跡地になっているところで遊ばせる親もいなければ子もいないのは想像もつく。

「慰霊碑」

すぐそばに慰霊碑があった。この慰霊碑はただ慰霊碑と書かれているだけで、その他何も書かれていない。これは事件の凄惨さを近隣住民に配慮してあえて記載していないという・・・

 

果たして本当にそれでいいのだろうか?慰霊碑はこのあと何十年も後に残るものだが、それが何の慰霊碑なのかわからなくなる時がきっと来るだろう。じゃあそもそも慰霊碑を作る意味とは一体何なのか?近隣住民に配慮する意味と価値は一体どこにあるのか?目的を失った慰霊碑がここにあった。

残された遺族が訪問しているようだが、ここで有志者などと名前を隠す意味は現在の後継団体から身を守る意味や価値ということはわかるが・・・

ご覧のように徹底的に破壊・除去されてしまったこの場所ではここでかつて何が起こったのかわからない。本当に事件を忘れてはならないとするなら、石碑にも何かの後しても保全をするべきではないのか?

今も後継団体が存在している今、怖いのは後継団体だけでなく、人々が過去の歴史を忘れた頃に同じような手法を用いて同じ行為をする組織ではないのか?何でもそうだ、歴史は繰り返す。だから歴史から学ぶ必要があるのだ。だから人は同じ過ちを繰り返す。熱心な読者の皆様にはこの機会にどうか歴史に学んでほしい。

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(2021)