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全国裏探訪取材班は、和歌山県の第二都市田辺市へとやって来た。ここは人口でいうと約8万人弱。県庁所在地としては弱小クラスの本家和歌山市の37万人のさらに1/5しかないんですけど、立派な紀南地区を代表する繁華街だ。
さて、現在の田辺新地の入り口に様子はこんな感じ。すでに住宅地化してきているのか。面影があるとすれば急に道幅が狭くなっているのが最大の色町のヒントか。
ちょっとカメラの向きは違いますが、2007年はこんな感じだった。ここまで「田辺新地」との渡し看板があればこれはこっちの新地と間違えそうでw遊ぶところといえば、遊ぶところだったようなんですけどね。
「橋本商店」
元はこんないい感じのタバコ屋なんかがあったんですけど、現在は火災?にて焼失してしまって空き地になっている。残念無念。
まぁそんな感傷に浸っていても仕方ないので、中へと入っていくことにしよう。「かしく寿司」なる寿司屋も発見。元は座敷とかあった色町なんでそんな系の店もあるのか。

〈2007年裏探訪取材班撮影〉
そういや2007年の写真にもこの寿司屋はありますので、やっっぱり現役時代からのものなんでしょうね。この時は子供たちがはしゃいでいました。小4(10歳)くらいの子供たち。あれから14年経っているので彼女らももう24歳の社会人か。月日は早いな。
「城中」「新地」
このあたり南側にはかつて田辺城があったので電柱には城中と書かれている。築城年が1606年(慶長11年)、平和な時代の城郭のため、構造は平城だった。築城主が浅野知近で以降は少しの石垣が田辺湾に近くに残っている。
勿論前述した住所は、上屋敷と言う地名からして、家老かそれなりの立場の人物が居を構えていた場所とするのが一般的か。
で、さっきから気になってる読者もいるかもしれんが、田辺新地といえばこの行燈が名物。そう、朱色でできたこの棒です。
「田辺新地」「新地」
2007年の写真では多少朱色の彩度が高い気がする。現在は10数年の歳月によってちょっと煤けてきたか。それにしても電柱とこの行燈の見事な新地&新地ペアだなぁ。
〈2007年裏探訪取材班撮影〉
当時の田辺新地の中からの様子。よくみると、この頃から1、2軒はもう宅地化が進んでいたんだな。
「割烹 やすだ」
かつて、田辺新地の渡し看板があったところから、5、60mほど入ってきたところにはこんな感じの物件が。カフェー調というか70年代風というか、何といったらいいんですかね。
いずれにせよ、なにかしらの商いをやっていたそうな物件だなぁ。手前の消防の箱?がレトロでいいよね。この田辺新地なんですけどかつてどんな営業をしていたのか。実際にお年寄りに聞いてみてんで、次回もぜひご覧ください。
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(2021)