【豊後崩れ】と言われた「隠れキリシタン」の墓を見る【バテレン追放令】(2)

全国裏探訪取材班は、全国有数の温泉街である大分県由布市由布院に足を踏み入れた。離れの宿やお忍びでくるこの有名な観光地に隠れキリシタンの墓が存在すると聞きつけかけつけたのだが、そこには厳しい禁教期の世界があった。

今となってはこの手の墓はなかなかはっきりと読み解くことが難しい。5月24日に亡くなった川野さんだろうか?元号がはっきりとわからんな。

画面中心部の小さな墓も隠れキリシタンの墓である。石の大きさや形状だけではわからないことがある。取材班も数多くの隠れキリシタンの墓を巡っているが、地域によって信仰方法、方式、墓の祈り方に方言レベルで様々あるため、禁教期の墓を探すのはなかなか難しい。

こうして見比べていくと、仏式の墓と見比べてあまりにみすぼらしい。今でも多少の墓参りはされているものの、墓石なのか岩なのか疑わしい墓が多く見受けられた。

例えばこの墓もそう。パッと見ただの平べったい石である。このキリシタン墓地というから、今でこそ墓のように見える。場所を変えればたちまちわからなくなるが、画面左上を見てほしい。

おわかりいただけるだろうか。薄っすらであるが、十字を切った痕跡が見えるのがおわかりいただけるだろうか。こんなに小さくかつ、薄く刻まれていては正直パッと見ただけでは気づかない。恐らくバレていないからここに現代まで残っているのであろう。

この墓もそうである。もう全然わからないのだが、横線に縦線が薄っすらと入っているのがおわかりいただけるだろうか。墓がこうして残っているということは間違いなくこの辺りには信仰があったことを意味している。

「死人に口なし」とよく言ったものだが、信仰している最中や身につけているものを見られるならまだしも、なぜこれだけ墓に対してまで隠れる必要があったのかについてであるが、墓を見回るという風習があったわけではなく、祈っている姿や仏式とは違う儀式を発見・密告されたりすることによって自分の身が危うかったのではなかろうか。

日本人はよくありがちだが、他人が同じことしているから大丈夫だ。という心理が働きやすく、部外者や自分とは違う者を受け入れし難い。仮に祈り方一つ違っても明らかに違うことをされたら目についてしまう。そこで墓が仏式とは違う墓だったとバレたらたちまち自分たちもその墓に入るぐらいの危うさがあったのだろう。だから「十字切ってませんよ。墓はただの岩ですよ」という体裁にしていた。

 

隠れるという行為で一番バレにくい方法がある。それは周囲に溶け込むことである。風景に溶け込んだり、木や葉に擬態したり、自然界の生物特に昆虫なんかはバレて捕食されることを最大限防ぐために自分の体を進化させてきた。軍隊だってそう。迷彩服という風景に擬態してバレないようにすることは王道である。墓だってそうだった。他の墓に似せたり、風景に溶け込んだりして密かに続けていた。

現在の日本では信仰心というものは希薄な人が多くなってきてしまったのだが、当時の人々には自分の生活や先祖、そして未来や自分の精神を支える重要なイベントの一つに強い想いを感じることができた。読者の皆さんも是非自分の目で見ていただきたい。

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(2021)