【神の】大東亜戦争時の「石油採掘事業」その成れの果てと顛末。【お告げ】(4)

全国裏探訪取材班は、静岡県富士市の富士山山麓に来ている。ここは太平洋側でありながら、実は戦前より戦中にかけ神のお告げによって「石油の掘削」をしていた場所があるという。もちろんこんところで石油なんか出るはずもないが多数の労働者が昼夜ここで人々が穴を保ていたのだという。いったいそんな非科学的なことになぜ熱狂したのだろうか。その現場を見ていきましょうかね。

「石油発掘現場」

なるほど。ここが石油採掘現場か。お告げを聞いた巫女の二の丸というのは本名岡村きぬ子という人物らしい。その二の丸こときぬ子はある日、大東亜戦争の最中「富士山麓に石油が出る」という神のお告げを聞いた。

それにより、この場所でとても大規模な石油掘削事業が始まったらしい。今はこのようにその当時の跡しか残っていないようだがかなりの規模感だったのだという。

大東亜戦争中にも関わらず国家存亡のために巨費が投じられた。もちろんその莫大な費用に見合う人的資源も投入された。実際当時は400人前後の労働者が入れ替わり立ち替わり24時間採掘していたのだとか。

労働賃金に関しても破格の高待遇だったようで、石油が出た暁には特大の賞与が与えられる事と共に、大東亜戦争を勝利に導く事業だけあって労働者始め関係者の士気は高かったようである。

「当時の現場の様子」

この写真からもかなりの規模感がお分かりいただけるだろうか。当時は戦争による景気拡大もあって、投資家もこぞて投資したためかなり大規模な建屋も築かれた。

二の丸こときぬ子の言葉に従い、石油が出ると言われた日は記念行事も予定され、政府の高官や大日本陸海軍の将校などが訪れることになる。しかしその予言された日は1滴の石油も出ることはなかった。

それ以降も一向に石油は出ることがなく、掘削事業に出資していた投資家も少しずつ手を引いて行ってしまう。最終的に事業は継続が難しくなっていってしまった。

 

現場人は石油掘削に利用したであろう、貯水槽なんかも今でも残っている。大東亜戦争対米戦争中も掘削は少しながらでも続けられた。最後に残った投資家植村澄三郎は、ある日天皇陛下からこの掘削事業のことを訪ねられたようだ。

天皇陛下(昭和天皇)は尋ねた「植村爺や、富士山の事業はどうか」そう問われると、植村は「出るところまで掘らねばなりません。アメリカまでも掘ります。」と答えたそうだ。まぁまさか、あれは無理っすwって当時の陛下に言えるわけないもんな。

ちなみにこの掘削現場には、石油が出た際の貯蓄タンクもかなりの数が用意されていたようだ。もちろん、その石油を清水港まで運ぶためのパイプラインの建設まで視野に入れたいたのだとか。

さて、石油掘削の遺構はここまでなのだが、いかがだっただろうか。まさに非科学的な思い込みと、プラスして根性論。と、日本の悪い見本が詰まっているお話だった。もちろん世界を相手にした戦争で人々を熱狂的、狂信的かつ盲目的になっていたことは否めないだろう。近い将来またもや破滅に進まないためにも、何よりも適切な情報と思考力。そして日本人的常識を考え直す必要がある。

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(2021)